2022年8月15日月曜日

8月15日終戦(敗戦)の日・父方の叔父・遺骨は『石』・・・



子供の頃から聞かされて来た
戦争中の話しです。
竹槍訓練・集団疎開

片道燃料で『特攻隊・人間魚雷』
当時、16、7歳〜の少年も出撃でした。

鹿児島・知覧『特攻平和会館』に 
数年前、行きました、平和という文字・・
ちょっと違和感は拭えない会館でした。 
重い気持ちでこの会館を後にした  
記憶があります。 
===================== 
昭和25年〜28年位、夏休みは親戚の
家で過ごしていました。

母方の親戚そして母が迎えに来て 
父の義弟(戦死)=お嫁さんのところへ 
必ずお墓参りを兼ねて、行っていました。

母は自分の務めと思っていたようです。

義弟の忘れ形見、私にとって従兄弟と
暮らしていたお嫁さんを励まし、気に
掛けていました。
大分県内でしたから母の親戚そして、父の
親戚へ移動は、短い軽便鉄道でした。↓

父の弟=叔父は、南方諸島で亡くなり
遺骨で帰って骨壷の中『石』だったそうで
亡くなった事を、信じられないと言って
 母はとても悲しんでいました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
大体、母方の叔母さまの家が好きで
夏休み中は、過ごす事が多かったのです。

=====================

1941年8月開戦、悲惨な
 犠牲が多く、人生が180度変わってしまい、 
苦しみを背負って生きて来た人は、日本内外 
で多勢です。

終戦の日、昭和20年8月15日

皇居前
人が集まって、皇居へ向かい泣いたそうです。

8月15日・玉音放送


天皇陛下のお言葉は
難しく戦争が、ただ終わったと思った人が
多かったと聞きました、
音声電波の環境も、悪かったはずです。
=========================
 戦の悲劇は続きます・・・





 ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!