両親は二人とも・明治生まれでした。
父は昔話と創作が得意、私が幼い頃は
毎晩、父の昔話を聴きつつ眠るのが、
習慣で母は裕福?な家で育ち
明治〜大正・女学校へ行き
お正月は人力車で『かるた競技』を
楽しんだ母と〜父の生活は
真逆だったようです。
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父方の祖父は、お酒好き・祖母が
お嫁入りで持参の田畑を、借金で
手放し、父は高等小学校を卒業後・・
専念・小柄な身体だから(母から聞き)
警察署内、柔道の道場へ通い身体を
鍛えたそうです、、日本郵船に入社し、
後々小蒸気船の船長資格をとって・母と
祖母の家に下宿をしていました。
3回目の見合いも父で・真面目な父を
祖母が気に入って・・結婚。
母は25歳、当時は『行き遅れ』と
言う言葉がありましたから、母の
選択肢は無かったのです(苦笑)
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横浜・公社が売り出した、3DKの
分譲住宅を買った時・最初は
夫の両親と叔母様達も一緒に、九州
から一月程滞在〜東京・横浜見物も
兼ね=ちょっと大変でした!義父は
半身付随で脳血栓後でしたが〜
当時は何しろ若かったので、、
頑張れました!
その後、、私の両親が来てくれました。
数日滞在で〜両親は狭い2段ベット
の部屋で・父が朝日に向かって
『柏手・かしわで』を打つ姿・今でも
思い出します、、
とっても、喜んで九州へ戻りました、、
それから一年半後・70歳の時、
父は胃癌で他界、『癌』が分かった時
には、既に転移していました。
特に母の悲しみは続き、愚痴が多く
なって、数年後骨折から
退院出来ず、、亡くなりました。
私達の団地へ来て、両親が喜んで
くれた事が、親孝行になったと
想いたい・・(願)
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