2021年5月31日月曜日

10数年ぶり、コロナ禍だけど元気?と


私が貴金属店に勤めていた頃のお客様からの電話で、

”コロナで大変だけど...”と暫く話をしました。


夫の会社が倒産してとにかく仕事を・・・と、

求人広告でみつけた、老舗の貴金属店でした。

お茶道具売り場が希望でしたが、配属は宝石売り場。

講習会もあってすぐに、お店でした。

ノルマ制では無かったのですが、お得意様を引き継いで

もらいたい、という事でした。

仕事をし、生活費を少しでも家計に...

ただそれだけでしたね、、、


1985年頃、バブル時代の真っ只中で

私の実生活とはかなりかけ離れ、

お店は繁盛でしたし、

車でお得意様のところへも、毎日のように伺い、

宝石だけでなく当時高級品のミンク、セーブルの

毛皮等お得意様は待っていたように、

買って下さいました。

売り上げの金額が目標以上になると、

ご褒美で海外、主に香港でしたが1度行きました。


ホテルでの展示会、ディナーショーも随分同行

させて頂きました。

私は全くの主婦でしたから、

通勤も展示会への洋服にも困りました。


ホテルの宴会場


正装は、お嫁入り道具の着物で

四季毎のものがありましたが、

本当に、箪笥のこやしになりました。


まず、生地を買い通勤用の支度です。

何と言っても、お金が無かったですから、

取り敢えず制服が支給された事は嬉しかったです。


築地の料亭 ”たむら”
にも仕事で行きました。


【宝石を買う方...のいろいろ】

男性、女性に限らず、百人以上の方が私のお得意様でした。


     ◆ 宝石、そのものに執着、又宝石の魅力に価値を持つ方 

     ◆夫が浮気をしたから、、だから○○百万の宝石が欲しい!  

     ◆ 妻へ、又家族に残したいと、、運転出来ない身体で宝石とオリジナルの

      注文品を片見分け、、その為にいらっしゃる方。

     ◆友人への見栄で相当の額の品物を買い、後に10分の1の金額で

      買って欲しい、、そのような方もいらっしゃいました。


中にはきつい仕事をし、憂さ晴らしで身につけ、

自分が上流社会の一員になった気になる、、

お話される方もいらっしゃいました。

正直で、なるほど、人は様々。

ですが、この方あまりにも無理難題の方で、、、

当時の専務に

「お店がお客様を選ぶという選択をしてもいいのでは?」と

相談したのですが、

お店は、客を選べないんだよ〜と。

まだ若かったですね、納得は出来ませんでした。

一昔前『お客様は神様です!』と流行りましたが...

お客様はお店を選べますが、

お店はお客様を選べ無いですね(苦笑)

一般的には

誕生石だから、この宝石で揃えたい』とか

『娘、孫にも残せるから〜』と

おっしゃる方が多かったように思います。


今日は話がしたいから、と何時間も話をして帰られる方、

いくつかの宝石の手入れで来店される方もいらっしゃいます。

一見のお客様でも、ネックレス、指輪、イヤリングの洗浄や

外れた(ネックレス等)ワカン→(繋ぎの金属)

を付けたり・・・全てサービスで致しました。


お客様を通して、人は見た目でとか、男性だから、

夜のお仕事、どんな方でも、人はそれぞれの自分の道を

持って生きている事を、実感させられました。


香港の花火



娘が社会人になって私と距離が近くなったのは、

この仕事で経験し、私自身が社会を少し

学んだのかもしれません。






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2021年5月30日日曜日

知らなかった、夫の習慣、、、


案外、夫婦でも知らない事
多々あります、、何年経っても え、こうなの?なぜ?
お互い様なんですね、夫も我慢なんでしょう。

『トイレマットを作る 』

意外な事を最近知ったのですが
夫が、トイレでスリッパを履かないで済ませている、
というので、なぜ??でしたが、
いつ頃からかそのようになったようで...
素足のままトイレに!?笑

そこで、使用後保管していた
バスタオルを使ってトイレマットを作りました。

先日も作ったのですが追加で。

かなり色々と面倒になってきて、
ミシンを出すのを諦めかけていましたが!
  


不具合は承知でアップしますね(笑)

今は友人と家でお茶を...なんて事も無くなり、
家族だけの使用なのでご勘弁ください〜



裁断して〜ジャカジャカと
ミシンで縫い、丸く抜いたところは
バイヤスにカットの布で仕上げです。

裁断して1時間半ぐらいはかかりました。。。


倉本 聰のエッセイ集の中で・・・


オイルショック時代(1973年〜)、
中東戦争で石油危機、
トイレットペーパー等の買い占めで
品不足状態でした。
 
弟さん倉本聰さんの弟?トイレで
ペーパーをガラガラと回す音集まっていた友人と思わず
”えっ!?と見合った!”
という下を思い出しました。
トイレの中の事は個人流儀。
誰も知らない、立ち入れない(笑)
(文章は流れるように?洒脱?でとっても面白く、
図書館でも借りて数冊読みました。)




『ワンピースをロングベストに改作』


このワンピースは生地の軽さと薄めの
色が気に入って買ったのですが、
ボタンダウンの袖、、、着心地が悪く
袖だけ縫い目から、外したままだったのを
仕上げてみました。

生地がローンで涼しいし薄いピンクなので
 ダメ元で作り始め...
ボタンで前開き、タックを増やして、
ロングベスト風にしました。



仕事を辞めて10数年経ちました。

仕事をしていた時の物を
最初は、染めたり、
縫い直したりしていました。

やはり年金で生活ですから
自分の衣類の優先順位は下がります。
それでも、、出かける時は”惨めならない程度の
オシャレ?(歳なりに)はしたいです♩




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2021年5月29日土曜日

苔寺へ、そして奈良(コロナ感染前)


苔寺(西芳寺)

                     http://saihoji-kokedera.com/top.html

1300年前、聖武天皇の時代に行基によって開山
(729年〜749年)

行基は後に大僧正の位となり、
東大寺、大仏完成の功績をおさめます。

行基、、、本当に凄い人なんですね。
まるで社会事業家?のような・・・
土木、治水、病院などの役目をしたお寺を
最初は茅葺屋根、掘立て形式で作り、
日本中を回って人々を助け、
農業を教えた、などの記述がありました。


京都駅は分かりやすく、苔寺行きのバスが出ていて
参拝には事前の申し込みが必要ですが、
私は一人で行きました。

バスで1時間少しかかって、、
お天気も良く写経も体験致しました。



外国の方もいらっしゃいました。
写経は終わった人から退出していいので、
早めに終わってゆっくり苔の庭園を見て回りました。
 写真は色々制約があって撮れませんでしたが、、、
              
                          
この苔寺の苔!
なんと!
120余種の苔が覆っている事から
苔寺といわれる
素晴らしい、景観でした。



渡月橋近くで降りて、
嵯峨野で再び祇王寺へ行き、、、
そして京福線で四条の宿へ




翌朝、奈良へ



東大寺 大仏殿
天平17年(745年)
聖武天皇により創建
 
盧舎那仏(大仏)


東大寺南大門
金剛力士像
(鎌倉時代の仏師)

吽形像            阿形像


吽形像(うんぎょうぞう)’定覚、   阿形相(あぎょうぞう)運慶、
 湛慶(への字に結んだ口)      快慶(口を大きく開けている)


この金剛力士像は
私が仏教美術に興味を持った最初の仏像で、
中学の時の修学旅行で
写真を沢山撮った記憶があります。
   カメラは兄からの贈り物でした、、、
力強さとこの迫力!

本当に、コロナウイルス・・・!
見えない敵を追い払って欲しいです!




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2021年5月28日金曜日

私も壊れました!義母の介護...

年をとって行く事って・・・

"経験を重ねる"とか、

"人は丸くなり角がとれる"とか、

高齢になっていく人に

敬愛をこめた言葉ともとれるのですが、、、


実際は身体が衰えると

人の思考も、人それぞれ大きく違いますよね...


でも

確実に壊れて行くのが現実と

実感させられました。


そして、介護する側の負担があまりにも大きく、

身内であれば更に責任感に縛られて

両方が壊れてしまいます。


義母が胆管癌の手術をしたのが92歳。


既におむつを使用、食事、お風呂、着替えなど
徐々に私の負担が増えていたので、
夫は手術ではなく、
病院の手当で治療をお願いしたのですが、、
病院からは手術を勧められ選択はできませんでした。


術後の食事、水分量の他、、
家での介護に加え義母の世話はあまりにも
私の負担が大きくなったのです。



「私は、何でも自分で出来るけど、
あんたがしてくれるからしてもらうの」

おむつを取り替えているときや
の爪を切るときも・・・そう義母は言いました。

家事や、夫の世話もしていた頃の自分が
心の中にはあるのですね。
(もう、義母はこわれていたのです。。。)


介護から数年で私は包丁すら持てなくなり
台所に立つと手が震え、夜、寝ても息苦しく
殆ど眠れない状態が続きました。


子供は育児で苦労しますが、
成長で答えと喜びと希望があります。

介護は逆です。
一生懸命すればするほど、自分の首をしめてしまう
そんな錯覚に落ちてしまいます。。。

体調が悪く近所の病院で診てもらいながら
待合室、診察室で涙があふれて・・・


家に帰る前に、
先生が「直ぐに介護施設のケアマネージャーさんに
事情を話してきなさい!」
と言われました。


すぐに受け入れの準備をしてくれて、
施設に義母を一年近く入所...
最後は脳梗塞で入院後
96歳で亡くなりました。



今、医療崩壊で厳しい現実です。

ご家族が、身内の方が、
お世話をされているかもしれません。
どうかご自分が病気にならないように・・・
と心から思います。





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2021年5月27日木曜日

横浜の港、そして伊勢崎町


神奈川県立博物館


神奈川歴史博物館(旧横浜正金銀行)

横浜開港期までを中心に横浜の歴史に
関する資料を展示。

この博物館に近い場所に、夫の会社がありました。
日曜、祭日に用事で出社する時に
小学生だった長女を連れて行き、
ここで色々見学して待っているように、と言って
仕事をしていたそうです。


娘はなぜこの歴史博物館に入れられていたのか
疑問と、大人になって話していましたが
それはなぜか、、、
理由は、もちろん安全な場所だったことと
小学生は無料だったんです(笑)


横浜港


1昨年娘夫婦と横浜の思い出を辿り、
山下公園前のホテルに宿泊し、久々に
横浜港を巡って遊覧船で
港を、楽しむ事ができました。

港に関わって仕事をしてきた夫は
港の移り変わりを
懐かしく、そして楽しんだようです。


山下公園と氷川丸




船が接岸する所です。



伊勢崎町の入り口近い、伊勢一(いせいち)
輸入品が多く、コインのチョコレートや
クッキーなど大人も楽しめるお店。
娘達が小学生の頃大好きなお店でした♩





===========================


今日のお買い物〜
近くのドラッグストア「クリエイト」へ
保存用の歯磨き『アセス』を買いに。
必ず予備として数本、私が歯をよく磨くので
無くなるのも早いのですが、
クリエイトは薬、食品から、お米まであって、
助かります、お米はかなりお買い得です!


アセスの歯磨き保管用



今日のお買い得!?
1枚39円の布巾(キッチン、洗面台用)



使用感は、、金額相当(残念)
お得感がありませんでした(苦笑)
やっぱり、タオルを半分にカットして
作る事になりそうです・・・!




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2021年5月26日水曜日

夢千代日記(慰められた〜メルヘンの世界)


余部鉄橋
ここから物語が、いつも始まります。
1981年から、とっても人気の
番組でした。


芸者置き屋「はる屋」の女将”夢千代”は
昭和20年の広島原爆投下で、母親の体内被曝を受け
母の残した置き屋を続けつつ温泉町から
余部鉄橋を渡って神戸の病院へ通います。

夢千代は自分が短命(白血病)な身体のせいか、
出会った人が、たとえ犯罪者?であっても、
きっと何か事情がある、人は生きなければと、
命の大切さを一貫して表現している物語と
感じてしまいます。



  山根刑事(林隆三) 夢千代(吉永小百合)

夢千代が通う病院への帰り、
殺人犯を追う山根刑事と電車の中で出会い、
第一話が始まります。

張り込みを続ける山根が病で倒れ、
(無免許)医師の病院へ入院・・・


温泉町の朝の風景
温かな、温泉の湯けむり、、、
早朝カゴを下げてゆで卵等を、温泉熱で
温め集う、街の人達

たばこ屋旅館の女将、藤森刑事は
夢千代、はる屋の芸者(それぞれ複雑な事情
を抱え生きている)女世帯に気を配る。
 
  老舗旅館”たばこ屋”の女将     藤森刑事     
(加藤治子)        (中条静夫)
 


 
  海鳴りが、、遠くで聞こえる町  



            劇場(ヌード小屋)
 木原医院の無免許医師  スナックの経営者山倉
(ケーシー高峰)    (長門 勇) 
  

はる家の芸者
千代春(楠トシエ)と菊奴(樹木希林)


山根刑事は入院中、
木原医院の不正(子供を捨てる親、
貰い受ける人の斡旋の証拠の書類)を
燃やして、消してしまいます。
  

木原医院で世話になり、子供が生き甲斐で
お座敷へも”あこちゃん”と一緒の芸者さん
(水商売の場所へ一緒に...でもしっかりと子供を守って
生きる姿は美しい)
 
夢千代さんに、母親のように寄り添っています。
賄いのおスミさん
(往年の大女優、夏川静江の品性と雰囲気が
伝わります)



最も気になるアサコさん!
お客さんは数人だけ、照明係の”あんちゃん”
助け合いながら劇場を続ける中、外人ダンサーを
山倉は雇いますが全く踊れないダンサーを
アサコはひたすら、かばい、照明係の
あんちゃんと逃し、一人になるアサコ

↓  

アサコ(緑 魔子)がとっても魅力的で
 純粋な優しさが、魅力です。
可愛い(こんな人いるの?)
と思ってしまいます。

四話あたりで・・・
市駒さんは夢千代さんに会いに来て、
全てを話し自首するのですが、

 市駒が自首をする訳は...
「藤森さんは殺人犯を、自分は未だ捕らえる事が
出来ないと言っていたから私は
藤森さんに捕まる」
警察署に入っていくのです。

    どこまでも切ないです。。。 
 
夢千代さんは足の悪いこうめちゃんを
お座敷に出す準備に勤しみ
‘小夢”と命名し、お披露目で挨拶回り、、

そこに、山根刑事がいて、自分は刑事を辞め
暫くこの街に留まり今後を考えたい、、と夢千代
に話し、この街にもっと早く来ていれば
良かったと告白をして終わりました。


夢千代=吉永小百合さん
イメージが重なって、、しまいます。
美しい人!!



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温かさが詰まった
そんな世界を作った方々

   原作・脚本:早坂暁の作  
脚本・演出:深町幸男
    音楽武満徹  
       制作勅使河原平八
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