スポーツマンの義父が54才の時に脳血栓で倒れ、
体が不自由になりました。
当時義母は50才。
義父が86才で他界するまで、ひたすら支え、、、
義父が亡くなって3年後、
一人暮らしは寂しいからと、九州から私共のところへ。
夫、曰く3年位我慢かな〜〜(!!)
義母との暮らし その1
『壊れる』
乱暴な・・・と思われるかもしれませんが、
人は老いて、どんなに気丈な人でも" 壊れて "行きます。
『壊れる』(←私なりの解釈です)
◆腕、肩が衰え着替えが自分でできなくなる。
◆手足の爪を自分で切れなくなる。
◆運動不足、食事が変わって行くので、排泄問題もいろいろ...
→当然かかりつけのお医者さんからの指示を頂きながらの介護生活。
下の世話は本当に厳しいものでした。
◆食事は常にやわらかな物で・・・咀嚼、嚥下問題もいろいろ...
→義母は白内障の手術と数年後、胆管癌で入院。
術後の自宅での養生は水分の量と食事など管理が大変でした。
かぼちゃのプリン、バナナ入りのスポンジケーキなどよく作り、
食事は常に食べやすいものを...小さくカットしていました。
私は、肩、腕の痛みがひどくなり、包丁も持てなくなり、
義母の夜中のトイレの回数が増えたこともあって不眠症に...
(現在も不眠症で通院しています(体調管理も含め))
そして私自身が介護出来なくなり、
義母は亡くなる2年ほど前には特別養護老人ホームへ...
短期間ずつでしたが入所をしました。
義母との暮らし その2
『手すり』
玄関のドア脇に手すりを取り付け、
部屋から出て他の部屋へ行く壁にも。
玄関ドア脇↓ 廊下にも↓
義母との暮らし その3
『お風呂』と『トイレ』
同居後4年を経て更に改装し、
お風呂の中に2箇所の手すりと掴める取っ手をつけました。
お風呂に2箇所↓ トイレには1箇所↓
→お風呂の時は湯船の中で身体を洗い流して温めて、
バスローブで包んでおりました。
義母との暮らし その4
『57年前のこと』
結婚後、最初の試練がありました。
夜の10時に「父が倒れ入院した!」と電報が。私達の結婚式から2週間目の事です。
夫は近くの公衆電話から会社で使っていたタクシー会社へ電話し、
ハイヤーで静岡の実家へ。
到着した時は朝の4時頃でした。
義父は静岡県内の会社勤めで社宅が与えられていましたから
定年1年を残して退社し、
義母は親戚縁者を頼って九州での暮らしを選択。
右半身が不自由な義父の面倒を見ながらの32年でした。
夫は長男なので、後々のこと(同居?)も考えて、
今の古い3LDKの家を購入する時も
上り下りに便利な1階を選んだようです。
義母との暮らし その5
『義母』
夫も認める、元々優しい義母ではありませんでしたが、
余計な事は話さず、九州の自宅は全て長男の夫に任せ、
私が用意した、食事、ケーキなど、喜んで食べてくれた義母、、
とっても綺麗好きで、私は義母の足元にも及びません・・・
孫が受け継いでいるようです(笑)
私達が義母の為に...と思って工夫してきた事〜〜
それが・・・
今、自分達が必要で、助かっています!
更に足腰はできる限り運動(部屋で)!
ですね。。。
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