2021年5月19日水曜日

九州〜北九州市、レトロな門司港。


門司港駅の歴史

1891年(明治24年)開設
九州の鉄道、そして起点の駅は『門司駅』でした。

関門トンネル開通に伴い
『門司駅』門司港駅と改称されました。
(現在の『門司駅』大里(だいり)駅から改称されました)

時代を経て1988年、
門司港駅舎は、駅として
日本で初めて国の重要文化財に指定されました。
(2019年には6年の歳月をかけた復元工事も終了)

(NHK)の映像から


私は門司港で生まれ、
坂の上に家が在りましたから、
汽笛の音がよく聞こえていました。

特に年末大晦日に碇泊中の全ての船が
夜12時に一斉に汽笛を鳴らし
新年を迎えるのです。
それは、横浜港も、何処の港も同じです。

外国船、貨客船も多く停泊して
いましたから、外国の方が買い物や
レストランで見かける事は珍しい事では
ありませんでした。
外国が近かった感じがします。

 
       貴賓室                   
(大正天皇、御休憩)   改修前の門司港駅 



”往時の西洋料理を再現”



終端駅(しゅうたんえき)

→起点の駅

0 ↓(白い所)  ここから、発着、


門司港に深く関わって船の仕事をしてきた父は

70歳で他界、仲の良い両親でしたから

母の悲しみは一入でした。


父は骨董品が好きで・・・

私が小学生の時、偶に夕食後に骨董屋の競りにいくのですが、

立ち寄るのがレストランでした。

当時、喫茶店は少なかったのかもしれません。

決まって注文するのはアイスクリーム。

銀の器にのって必ずウエハースが付いていました。

昭和の初めはこれですよね!

後からソフトクリームの登場でした。

                       shasinbu.exblog.jp

九州、最北の港町でしたが、

船舶会社、銀行の支店も多く、

自宅から近い所に明治屋があって

食料雑貨は明治屋が便利だったようです。


ちゃぶ台にぽこぽことコーヒーサイホンの音・・・

そして歯が悪かった父はオートミール。

今思うと、とっても可笑しく、懐かしい風景です。

              
  

母が亡くなって、兄夫婦が実家に入りましたが
兄も72歳で早くに他界。

その後実家を整理した甥から、
遺品の整理で送られた物が
二軸(2本)の掛け軸と、舞姿の博多人形、
して銅製の花入(骨董の競り)です。

悔やんでも仕方が無いのですが、
親孝行は出来ませんでした。。。

もう一度、年末の船の汽笛を聴きたいと
思うのですが・・・





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