門司港駅の歴史
1891年(明治24年)開設
九州の鉄道、そして起点の駅は『門司駅』でした。
関門トンネル開通に伴い
『門司駅』は『門司港駅』と改称されました。
(現在の『門司駅』は『大里(だいり)駅』から改称されました)
時代を経て1988年、
門司港駅舎は、駅として
日本で初めて国の重要文化財に指定されました。
(2019年には6年の歳月をかけた復元工事も終了)
(NHK)の映像から
私は門司港で生まれ、
坂の上に家が在りましたから、
汽笛の音がよく聞こえていました。
特に年末大晦日に碇泊中の全ての船が
夜12時に一斉に汽笛を鳴らし
新年を迎えるのです。
それは、横浜港も、何処の港も同じです。
外国船、貨客船も多く停泊して
いましたから、外国の方が買い物や
レストランで見かける事は珍しい事では
ありませんでした。
外国が近かった感じがします。
貴賓室
(大正天皇、御休憩) 改修前の門司港駅
”往時の西洋料理を再現”
終端駅(しゅうたんえき)
→起点の駅
0 ↓(白い所) ここから、発着、
門司港に深く関わって船の仕事をしてきた父は
70歳で他界、仲の良い両親でしたから
母の悲しみは一入でした。
父は骨董品が好きで・・・
私が小学生の時、偶に夕食後に骨董屋の競りにいくのですが、
立ち寄るのがレストランでした。
当時、喫茶店は少なかったのかもしれません。
決まって注文するのはアイスクリーム。
銀の器にのって必ずウエハースが付いていました。
昭和の初めはこれですよね!
後からソフトクリームの登場でした。
shasinbu.exblog.jp
九州、最北の港町でしたが、
船舶会社、銀行の支店も多く、
自宅から近い所に明治屋があって
食料雑貨は明治屋が便利だったようです。
ちゃぶ台にぽこぽことコーヒーサイホンの音・・・
そして歯が悪かった父はオートミール。
今思うと、とっても可笑しく、懐かしい風景です。
母が亡くなって、兄夫婦が実家に入りましたが
兄も72歳で早くに他界。
その後実家を整理した甥から、
遺品の整理で送られた物が
二軸(2本)の掛け軸と、舞姿の博多人形、
そして銅製の花入(骨董の競り)です。
悔やんでも仕方が無いのですが、
親孝行は出来ませんでした。。。
もう一度、年末の船の汽笛を聴きたいと
思うのですが・・・