2021年5月18日火曜日

1970年代〜、横浜時代


横浜港


一昨年、長女夫婦とドライブがてら、
元住んでいた
場所を見ながら、、思い出を辿りました。


私達の新生活は横浜の磯子
が始まりでした。
夫は船関係の仕事でしたから
日曜、祝日も関係なく急な出勤は
電報で知らせてきました

早朝出勤は会社からハイヤーが
手配され4時、5時起き
も珍しくは有りませんでした。



当時バス代、駅まで15円
牛肉、 100g →90円

慎ましい生活の中”すきやき”は
お客様の時のご馳走でした


汐見台病院で出産し(長女)。。。
外科、内科・産科、でお世話になりました。
(病院は少し大きくなったかもしれません)


長女4歳、次女7ヶ月、長女がブランコから
落ち、、大怪我で腫れ上がった子供の顔を
見て、帰宅した夫がショックを受け
(嫁に行けない!)
今では笑い話ですが。。。


  磯子の2DKから横浜市内、緑区の団地3DKへ 
     転居したのは長女5歳、次女2歳でした。     
 
幼稚園、小学校、マーケット、病院
緑も多く環境も優しく子育てには
最適でした。
          

高度成長期真っ只中、
”企業戦士”と呼ばれた時代の、
サラリーマン生活でした。


あの時代、、、
厚生年金手帳で安く宿泊ができました。

(夏休み千葉館山、国民休暇村)



ここでの数年間はいわゆる”ママ友”時代

数家族でお菓子作り、パン、ローストチキン等、
我が家のオーブンが少し大きめでしたから、
集まって、クリスマスなど、
ケーキ作りをしていました。

夫がお土産で持って帰ってきた
外国のアイスクリームは
かなり大きなケースでしたから、
子供達に配る時、多くの目がアイスに注目!
しっかり計量して...(笑)
小鉢に入れていました。


大きな池を中心に、囲むように建物がありました。

ここは5年ほどで、現在の神奈川県の
すみっこ、へ転居したのが
1976年でした。

そして・・・”オイル・ショック”の波で会社は倒産、
娘達は高校生、中学生、
我が家にとって厳しい生活の
始まりでした。

娘達に言わせると
”今の時代は24時間で仕事をしている感じがする...”
のだそうです(苦笑)

仕事も時代も
インターネット、PC、携帯→スマホ社会で
大きく変化しました。。。

世界中を震撼させた”コロナウイルス感染”
日本では、、、
希望の”明かり”は未だのようです。





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