仕事をしていた時でした、会社に九州の兄から
母が亡くなったと、知らせが来たのです。
長女は既に就職、仕事先に連絡して
直ぐに航空券の手配を、してくれました。
次女は当時、
キリスト者学生会の活動で、地方に行って
いましたから、遅れて知らせる事に
なったのです。
長女と二人でその日に羽田→福岡へ
小倉の駅には夜10時過ぎに着きました。
そこからタクシーで
母が安置されているお寺に直接
行った時には既に12時(夜中)
でした、、
やっと着いたお寺で、挨拶もそこそこ・・
早々から母への憎しみが増幅して
私へぶつけてきたのです。
とっても疲れて、
着いてから母の側に行く前から、
お茶の一杯がやっと、想定外!の
出来事でした。
『娘だから、言っておかないと、分からない!』
母がS子義姉さんに対して、
とやかく煩く言ったと言う内容を
感情的に私に向かって憎悪・『逆上』と
言っても大袈裟では無く(病的)
でした。
その日は
仕事早退→喪装の用意→娘と羽田→福岡へ
福岡→電車→小倉(タクシー)→寺院の
別室でした。
義姉の怒って話すのを・・
遠くから聞くような気持ちで、
やっと母は楽になったと、
その時想いつつ、聴いていました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
兄が、次兄には知らせても葬儀に帰って
こないように、大変な事になるからと・・
電話の短い言葉は、義姉のこの事
だったと思いました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
激しい怒りを繰り返す義姉でした。
兄が『これだから、我慢して欲しい』と
言いましたが、それでも怒っていました。
長女は側にいましたが、上階の
母が安置されているところへ、従兄弟が
集まっていたので、行きました。
夫は翌日着いて、葬儀に間に合ったのです。
一番悲しかったのは、棺で眠っている
かのような母の姿。
着ていたのは病院から直接?だから
でしょう・寝巻きのままでした。
・辛かったでしょう、ごめんなさい・
(と、そんな気持ちで母に会いました)
義姉の言葉と最後の姿、悲しかったです。
棺の母は旅立ちの『白装束』
では無かったのです。
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母は、兄達が結婚する度に
『私には娘達が二人出来て、00子(私)は
嫁ぎ先の娘になるのだから、
その家の家風に馴染むようにね』が
母の口癖だったのです〜
(今では、ちょっとズレて考えにくい
事かもしれません)
長兄からS義姉さんへの事=『00作法』を
頼まれた母は、役目と思ったのです。
その気遣い・S子義姉さんには全く
分かってもらえなかったのです。
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