8月は私達家族にとって辛い月なのです、
と、話したHさんのご主人、昨年早々に
亡くなりました。
辛い8月も終わりです
終戦の時、私は2歳・僅かな記憶の一場面
多分4、5歳だったと思います。
多分お米の玄米をこすり合わせて精米?に
していたのでしょう、写真、1枚の
ような記憶です。
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70代男性、団塊の世代の方・・・
『戦争を知らない子供経ち』である。
真珠湾攻撃から77年の日に妻を亡くし、
一周忌に真珠湾を訪れ、翌年から広島へ
61年ぶりに、その後平和祈念資料館。
総務省委託=新宿の資料館、靖国
長崎、知覧、沖縄の各地を訪れ
悲惨さが伝わってくるが、どこへ行っても
『戦争へと導いた原因の解析』
が、抜けている、、
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(街角にたつ、傷痍軍人)戦後数年です。
悲惨さを与え、そして受けた悲惨さに加えて
『負の側面と戦争の原因を平和のために、
振り返る時が来ているように思う』
と綴られていました。
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退職後、義母を介護するあい間でした。
図書館に通った数年の時、読書会の
友人で、ご主人が弁護士でした。
憲法についての本を自費出版し、
それがきっかけで、戦争に関心を持ち
知覧へもいきました、もう何年も
前になります。
◆なぜ、辞める事が出来なかったの?
◆なぜ、特攻隊で多くの若者を戦場へ?
◆大岡昇平著『野火』を読みました、、
そして『東京裁判』について、、
裁判に携わった、オランダの判事
インドの判事も問題提起をして判事の
判断も、分かれました〜なぜ戦争を・が
知りたくて、私の拘り癖で色々な本を読み
続けて、心の中の棘、それが
真珠湾攻撃から始めた
戦争の反省、検証をして無いと
言う事でした・・
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今でも戦争が興っています、、
再び、若者が子供達が、辛い状況に置かれ
ない為にも、過去の戦争から学び
平和国家、日本であって欲しいと
心から願う、老人の”つぶやき”です。
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