父の関係会社へ、勧められた就職。
花嫁修行中の事・(苦笑)
外国船代理店が新しく門司港に
出来るからタイピスト兼、庶務の仕事そして
お茶だしと、経験無く就職したのです。
社長・店長・00さん(夫)・私(19歳)
小さな代理店でした。独身は00さん
と私だけで、当時タイプ学校で習った程度では
全く、役立たず00さんは横浜の本社から
1年の出向でしたから、代わりの社員が
入社し00さんが横浜へ戻ってから、手紙が
来て、それからは文通でした・・・
決まり、この事から結婚が
決まったのが正直なところです・・
翌年・春に結婚の予定が半年早く成って私は
当時21歳、00さんは27歳。
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娘が言ったのは・色々な経験が出来る
若い時だったでしょ・どうして早く結婚
したの、もったいないわよ〜娘から言われて
ショックでした=笑
両親が60歳を過ぎていました、私が
兄達のお荷物にならない内に
結婚をさせたいと言う、親の気持ちを
察した事は確かです。
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〜閑話〜
私が50代だったと思います。
最初に読んだ、『ユルスナールの靴』
友人に勧められて須賀敦子著の
本でした。
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<『須賀敦子氏が、残した言葉』>
人が生きるのは、答えをみつける
ためでもないし、誰かと競争するためなど
では決してありえない、ひたすらそれぞれが
信じる方向に向けて自分を充実させる
その事を私達は根本のところで忘れて
走ってきたのではないだろうか、、
(須賀さんは終戦後〜1950年代
早々に貨客船で日本から〜最初は
フランスへ向かいました)
翻訳の為に、母親から送ってもらった本、
そして、生活資金〜あるがままの暮らしを
日記、又、イタリアと言う歴史文化に
ふれ、古代へと想像する『須賀敦子さん』の
文章に、とっても惹かれたのと私の
励みにもなったのです。
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イタリアのコルシア書店で、巡り合った
ペッピーノとの結婚生活は6年で、夫は
病気でなくなり・・かけがえのない
邂逅(かいこう)=めぐりあい、を
重ねたイタリア、ヨーロッパ、、その後
日本に帰国後大学勤務、執筆、病の中
69歳で亡くなったのです。
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娘からどうして?との問いに戸惑い
ました、多分何時もの夫婦喧嘩(苦笑)
の性かもしれません・・
なぜ結婚をしたの?と率直な疑問
だったのでしょう、、
成り行き〜それを『運命』と変換すると
何か、素敵な話になるのですが、、
正直、なりゆきです、、(苦笑)
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