2022年12月2日金曜日

大貧乏生活・遺された『三十一文字』

昭和初めの炭鉱です。


夫の伯父は炭鉱で働いていました。
私が伯父様にお会いしたのは二度で、
最初は私達の結婚式でした。

それから、
九州へ帰省の時、義母と一緒に出かけ
駅でご挨拶をし、
短歌『アララギ派の会』の方々と旅行の
帰りらしく義母も久々で、
簡単な挨拶で終わったのです。

義母は義理の兄嫁とは合わないらしく
綺麗好きな義母は、兄の家に
行って兄嫁は『だらしが無い』と  
ぶつぶつ、不満を言っていました。
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義母との同居がきっかけで、九州から
持ってきた書籍の中にあった
『昭和萬葉集・昭和元年〜五年』


伯父の短歌が何首かあるのですが
最初に、読んだ時にどの歌も心に残り、
辛い時は私の励みにもなって
若い時でしたから、
涙が溢れるほど心に、沁みました。

『五日あまり入坑(さがり)の
つめたければ吾が尿(ゆまり)渋茶の
如く色かはりけり』

夫が義母から伝え聞いた話では、
伯父は勉強が好きだったけれど貧乏な
暮らしを支える為に、あらゆる仕事を
して、家庭を支えていたそうです。

子沢山で、大変だったと
話は聞いていましたが、歌は新鮮で
話をした事も全く無いまま、
10年前に他界です。

お話をする事は無理な
環境でした。

残念に思いますが
偶に本をひらいて、心の励みに
させて頂いています。



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