2021年6月30日水曜日

病院の医師から夜の7時に電話が?


夜7時、仕事から帰って玄関で電話をとると

北里病院外科のですが
悪いものが見つかりました、●日に手術です』

その場に座り込んでしまいました。

(もう25年ほど前の話です)
神奈川県相模原、”こもれびの森”
(病院はこの周辺の側にあります)。


最初に乳癌では?と自分で『しこり』らしきものを
感じ、電話帳で調べ、乳房でしたから
産婦人科の女医先生を調べてタクシーで行きました。

そこで検査をされて、説明が
”乳癌は外科ですから、紹介状を用意します”
でした。

そして北里大学病院を紹介されました。
病院では、先生が触診。
『良く、自分でみつけられましたね』
と、黙って先生の話を聴くのが精一杯でした。

『組織検査で詳しく調べますから結果を待つようにと、
いわれ組織検査は後日『しこり』の一部分を検査。

『夜7時の病院からの電話』は
結果の連絡”でした。

その頃、夫は横浜の会社を退いて
九州の実家に戻って10ヶ月が経っていました。

長女は卒業後、運良く大手企業に就職、
次女も卒業し外資企業に就職、それを期に、
半身不随の父親を数十年看て、苦労を背負った高齢の
母の事も気にしていた夫は、九州の実家を改装し、
仕事を九州で探して、私も一緒に・・・と、
その計画の最中の『乳癌の手術』でした。


         手術は急がれていましたし、夫には直ぐに
         取り敢えず帰って来てもらい、治療が長引く
           ので計画の立て直しは必然でした。

入院は15日間、その後抜糸で通院、
抗がん剤の飲み薬、レントゲン検査等、
最初は2週間置き、月に1回、3ヶ月毎〜半年毎、
と続いて10年で、転移は心配しなくていいです、
と先生に言われ治療は終わりました。

私が勤めていた貴金属店は
十分休んで復帰して欲しいとの事でしたから、
その後も続けて、無理する事なく
仕事ができました。

箱根から望む富士山

私の気分転換を兼ねて、よく家族で箱根まで
 四季折々の、景色を観にいきました。


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私の術後、3ヶ月経って夫に船関係の仕事の
依頼があって、九州の家は改築しましたが
元の生活に戻り、夫は義母との同居に至るまで、
九州へ行ったり来りの、生活でした。

『乳癌手術』と事情が重なって『谷底の辛さ』と
思いましたが、
その後も、谷底はいくつもありました(笑)

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どの病気もそうですが、
周りの家族の支えが不可欠です。

友人で乳癌になった独身の方がいます。
なるべく支えたいと思っていますが、
今この時期会えません・・・
LINEなどで話したりメールのやりとりもしていますが、
とても心配しています。

介護施設の方も皆様も、少しでも気持ちが
元気で過ごせますように。

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