2021年6月11日金曜日

義母の介護、のポイント


私達の世代は親を看るのは、あたりまえの世代。

まず、専業主婦で明治生まれの母の教えは、

結婚先の家族になり、

その家の習慣(家風)に沿うように・・・

と言う考えでした。



義母が義父を看取ってから数年後に
同居することになりましたが、
私はその頃、仕事をしていました。

夫から・・・
"恐らく三年位だから少し辛抱してくれ"と....

義母の人柄は承知していたので
1998年の秋に
夫と弟が九州の家はそのままにして
親戚にいろいろと頼み、
同居、となりました。


同居から2、3年経ったある時....
きれい好きな義母の部屋がなんか違うにおいがする!?
シグナルでした。

『義母の部屋、汚れた衣類、みつけし吾

その時が来たと 覚悟する』


◆は短歌らしき文章、と思って詠んでくだされば
嬉しく思います。以下にらしき文が出てきます(笑)。
自分で気持ちを出すことが出来ず、
何十句も書き溜めたのです。
この頃は近くに特別養護施設ができて、
デイサービスやショートステイ(お泊まり)を
嫌がらずに行ってくれましたので
私はまだ仕事を続けていました。


『甘いもの好きの義母のブランチ

仕事終え、泡立て器の音、夜キッチンに響く』



ポイント1

『柔らかい甘いものを常備』

仕事で夜帰宅後、カボチャプリン、
バナナケーキ、スイートポテトを作り、
カットし冷凍しました。


↑スイートポテト
(オーブンでケーキ状に焼く)



ポイント2

『自分で脱ぎ着しやすい下着や上着を用意』

ボタン類は無くして、腕も回らなくなるので
ゆったりした、伸び縮みのある衣類です。
この買い物は良くしました。。。
今の私達が、既に、、、夫もそうです。

仕事の帰りに、介護用品売り場で
吸水性の物を良くさがして、
下着は予備の物を、
わかる場所に用意しておりました。




厳しくなってきたのは、特に下の世話です。
おむつをしていても、自分でトイレに行こうとして、
間に合わず、周りを汚してしまう。
これはどうしようもなく続きました。

義母のプライドなんですね、トイレで、、が。
ドアに鈴を付けて
義母の隣の部屋のドアまで布団を持ってきて
鈴の音がしたら、直ぐに起きました。

義母の運動不足と、全てが弱り、便秘、と下痢が
繰り返され、この頃がとっても厳しい時でした。
(毎回かかりつけの医院に通って指示を頂いていました)
(私の不眠の後遺症は未だに続いていて、
薬は欠かせないです)





ポイント3

『水分は最低500cc』


消化の良いプリン系や餡やカステラを用意しておりました。

ベッドで寝ていて動かない生活でも

水分は最低500ccは必要、と。


こんなにも、老いて弱って、いく義母と

吾も老いつつ、心は暗闇に落ちてゆく



ポイント4

『湯船の中で全て洗う』

お風呂の時は湯船の中ですべて洗って、
腰掛けてシャワーをし、
あがったらすぐにバスローブで
包んであげていました。

お風呂のお湯は1回使ったら
全部捨てておりました。


時代は変化して・・・
今後はロボットが食事も運んでくれて、
お掃除もしてくれるように、近々なる事でしょうね。
いつか、我が家もそうなるかもしれません(笑)




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