私達の世代は親を看るのは、あたりまえの世代。
まず、専業主婦で明治生まれの母の教えは、
結婚先の家族になり、
その家の習慣(家風)に沿うように・・・
と言う考えでした。
義母が義父を看取ってから数年後に
同居することになりましたが、
私はその頃、仕事をしていました。
夫から・・・
"恐らく三年位だから少し辛抱してくれ"と....
義母の人柄は承知していたので
1998年の秋に
夫と弟が九州の家はそのままにして
親戚にいろいろと頼み、
同居、となりました。
同居、となりました。
同居から2、3年経ったある時....
きれい好きな義母の部屋がなんか違うにおいがする!?
シグナルでした。
◆
『義母の部屋、汚れた衣類、みつけし吾
その時が来たと 覚悟する』
◆
◆は短歌らしき文章、と思って詠んでくだされば
嬉しく思います。以下にらしき文が出てきます(笑)。
自分で気持ちを出すことが出来ず、
何十句も書き溜めたのです。
この頃は近くに特別養護施設ができて、
デイサービスやショートステイ(お泊まり)を
嫌がらずに行ってくれましたので
私はまだ仕事を続けていました。
◆
『甘いもの好きの義母のブランチ
仕事終え、泡立て器の音、夜キッチンに響く』
◆
ポイント1
『柔らかい甘いものを常備』
仕事で夜帰宅後、カボチャプリン、
バナナケーキ、スイートポテトを作り、
カットし冷凍しました。
↑スイートポテト
(オーブンでケーキ状に焼く)
ポイント2
『自分で脱ぎ着しやすい下着や上着を用意』
ボタン類は無くして、腕も回らなくなるので
ゆったりした、伸び縮みのある衣類です。
この買い物は良くしました。。。
今の私達が、既に、、、夫もそうです。
仕事の帰りに、介護用品売り場で
吸水性の物を良くさがして、
下着は予備の物を、
わかる場所に用意しておりました。
厳しくなってきたのは、特に下の世話です。
おむつをしていても、自分でトイレに行こうとして、
間に合わず、周りを汚してしまう。
これはどうしようもなく続きました。
義母のプライドなんですね、トイレで、、が。
ドアに鈴を付けて
義母の隣の部屋のドアまで布団を持ってきて
鈴の音がしたら、直ぐに起きました。
義母の運動不足と、全てが弱り、便秘、と下痢が
繰り返され、この頃がとっても厳しい時でした。
(毎回かかりつけの医院に通って指示を頂いていました)
(私の不眠の後遺症は未だに続いていて、
薬は欠かせないです)
ポイント3
『水分は最低500cc』
消化の良いプリン系や餡やカステラを用意しておりました。
ベッドで寝ていて動かない生活でも
水分は最低500ccは必要、と。
◆
こんなにも、老いて弱って、いく義母と
吾も老いつつ、心は暗闇に落ちてゆく
◆
ポイント4
『湯船の中で全て洗う』
お風呂の時は湯船の中ですべて洗って、
腰掛けてシャワーをし、
あがったらすぐにバスローブで
包んであげていました。
お風呂のお湯は1回使ったら
全部捨てておりました。
時代は変化して・・・
今後はロボットが食事も運んでくれて、
お掃除もしてくれるように、近々なる事でしょうね。
いつか、我が家もそうなるかもしれません(笑)
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