2021年6月6日日曜日

コロナ禍の中、登呂遺跡公園〜芹沢美術館♪



3月、久々に用事も兼ねて、静岡へ

私がもう一度訪れたいと思っていた

『登呂遺跡公園』


登呂遺跡は縄文時代末期〜弥生時代に
かかる頃の遺跡ですよね。

○○千年前の人々がここで、
畑、仕事子育て生活・・・等々
様子を想像して歩くと、何千年が縮まってきます。
人の営みは基本一緒ですから・・・

静岡は温暖な地域。
現代はお茶に柑橘類、石垣いちご等ありますけれど...

古代も農耕が早くに行われ、
保存用に高床式で食料庫の茅葺等、
建物が徐々に増えていったのでは...?などと、

この場所を眺めながら
私の勝手な想像をふくらませて、
遺跡公園を歩きました。

古代が近い〜と思ってしまいます。




40年前に行った時は、掘立て式住居も沢山あり、
遺跡への入り口が設けられていましたが、
今は公園になって、
静岡市立登呂博物館に数々の遺跡から出土された土器他、
たくさんの展示がされており、
係員の方が説明してくださいました。


この遺跡公園に隣接の
『芹沢銈介美術館』

この美術館に入館したかったのですが、
残念な事に、休館でした。



芹沢銈介
1895年(明治28年)生まれ

染色で沖縄の紅型に影響を受け、
自由な発想で染色だけでなく、作品を国内外で発表

文化功労賞を授与

そして染色技術において、人間国宝に認定

『民芸運動の父、柳宗悦の影響を受け、生涯の師であった』
記されていました。



既にご存知の方もいらっしゃる上で、
民芸運動の父と言われた
柳宗悦(やなぎ むねよし)
 について、少しお話をさせて下さい。


柳 宗悦
1889年(明治22年)生まれ

思想家、宗教哲学者、美学者とも言われ、
1913年より盟友である
英国の陶芸家バーナード・リーチの導きによって
仏像ほか造形美術の影響をうけ、
"民衆の生活の中に交わる工芸品の美の世界を..."と、
昭和11年、東京駒場(目黒区)に
『日本民芸館』が開設されました。

ここを拠点に文筆、展覧会、活動が展開され
広がっていきました。

芹沢銈介は柳宗悦の影響を受け
民芸運動に参画していきます。

柳 宗悦
(1899年生〜1961年没)

芹沢銈介
(1890年生〜1984年没



芹沢銈介は夫の同窓で大先輩、、
高校創立何十周年かの
記念の色紙(芹沢銈介デザイン)があったのですが、
大切にされすぎたのか?見つかりません(苦笑)。



『三保の松原』
平成25年
(富士山世界文化遺産構成資産登録)


遠くに富士山・・・どこから眺めても美しい!
です。

義母の法要のことで相談もあって、
静岡在住の夫の弟夫婦と
久々の楽しい会食でした。

コロナ禍でしたが、、、
静岡はこの時コロナ感染者が少なかったのか、
マスク姿はあまり見かけませんでした。

ホテルは静岡駅から近い
“中島屋グランドホテル”




商店街が近くにあって、とっても便利。
静岡での宿泊はこのホテルと決めているのです。

丁寧で気持ちの良い対応のホテルを後にして
新幹線のりばに向かいました。

この次は必ず、『芹沢美術館の開館時間』の
チェックを忘れない様に!と反省しました(苦笑)




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