3月、久々に用事も兼ねて、静岡へ
私がもう一度訪れたいと思っていた
『登呂遺跡公園』
登呂遺跡は縄文時代末期〜弥生時代に
かかる頃の遺跡ですよね。
○○千年前の人々がここで、
畑、仕事、子育て、生活・・・等々の
様子を想像して歩くと、何千年が縮まってきます。
人の営みは基本一緒ですから・・・
静岡は温暖な地域。
現代はお茶に柑橘類、石垣いちご等ありますけれど...
古代も農耕が早くに行われ、
保存用に高床式で食料庫の茅葺等、
建物が徐々に増えていったのでは...?などと、
この場所を眺めながら
私の勝手な想像をふくらませて、
遺跡公園を歩きました。
古代が近い〜と思ってしまいます。
40年前に行った時は、掘立て式住居も沢山あり、
遺跡への入り口が設けられていましたが、
今は公園になって、
静岡市立登呂博物館に数々の遺跡から出土された土器他、
たくさんの展示がされており、
係員の方が説明してくださいました。
この遺跡公園に隣接の
『芹沢銈介美術館』
この美術館に入館したかったのですが、
残念な事に、休館でした。
芹沢銈介
1895年(明治28年)生まれ
染色で沖縄の紅型に影響を受け、
自由な発想で染色だけでなく、作品を国内外で発表
文化功労賞を授与
そして染色技術において、人間国宝に認定
『民芸運動の父、柳宗悦の影響を受け、生涯の師であった』
と記されていました。
既にご存知の方もいらっしゃる上で、
民芸運動の父と言われた
柳宗悦(やなぎ むねよし)
について、少しお話をさせて下さい。
柳 宗悦
1889年(明治22年)生まれ
思想家、宗教哲学者、美学者とも言われ、
1913年より盟友である
英国の陶芸家バーナード・リーチの導きによって
仏像ほか造形美術の影響をうけ、
"民衆の生活の中に交わる工芸品の美の世界を..."と、
昭和11年、東京駒場(目黒区)に
『日本民芸館』が開設されました。
ここを拠点に文筆、展覧会、活動が展開され
広がっていきました。
芹沢銈介は柳宗悦の影響を受け
民芸運動に参画していきます。
柳 宗悦
(1899年生〜1961年没)
芹沢銈介
(1890年生〜1984年没)
芹沢銈介は夫の同窓で大先輩、、
高校創立何十周年かの
記念の色紙(芹沢銈介デザイン)があったのですが、
大切にされすぎたのか?見つかりません(苦笑)。
『三保の松原』
平成25年
(富士山世界文化遺産構成資産登録)
遠くに富士山・・・どこから眺めても美しい!
です。
義母の法要のことで相談もあって、
静岡在住の夫の弟夫婦と
久々の楽しい会食でした。
コロナ禍でしたが、、、
静岡はこの時コロナ感染者が少なかったのか、
マスク姿はあまり見かけませんでした。
ホテルは静岡駅から近い
“中島屋グランドホテル”
商店街が近くにあって、とっても便利。
静岡での宿泊はこのホテルと決めているのです。
丁寧で気持ちの良い対応のホテルを後にして
新幹線のりばに向かいました。
この次は必ず、『芹沢美術館の開館時間』の
チェックを忘れない様に!と反省しました(苦笑)