2023年3月16日木曜日

厳しい道程・涙のあと



珊瑚礁が美しい島でした。
(マーシャル諸島の一つ、ビキニ島又は
ビキニ環礁)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1954年3月ビキニ島沖を、マグロ漁船
『第五福竜丸』で航行中アメリカの水爆実験
に遭遇し乗組員は被爆で焼死の中、
20歳の誕生日を迎えたばかりの大石さん
は被爆者への無理解に耐えきれず東京で
クリーニング店を営み、その後
第一子は死産でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私の忘れられない対談でした・・
今でも脳裏に蘇ります。

大江さんはこの対談で
『日本人と核・という問題に最も真摯に
向き合い続けた1人と』、大石さんを
そのように感じたそうです。
2011・5・11日の対談
東京 夢の島『第五福竜丸展示館』
中継ではなく特別番組で拝見しました。
(2011・7・3)

大石さんは被爆した仲間の話、と
被爆の恐怖について又、被爆者への
偏見についても話されました。
そして核兵器反対の大江さん、
平和利用推進の元、原発が進められ
東日本大震災で福島原発事故は、
大変な禍根を残し、
原子力発電についても
対談で話されたのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『沖縄ノート』
第二次世界大戦、終末の沖縄戦
『集団自決に日本軍が深く関わった』
内容で、丁寧な取材の元に
本は出版されました。

旧日本軍・当時の隊長等が岩波書店と
作家大江健三郎の本を
出版差し止め、損害賠償を求めた
訴訟でした。

沖縄集団自決、軍関与を認めた
最高裁小法廷は
判決確定=大江さん側勝訴
2011・4・21
(ウイキペディアを参考にさせて頂きました)

法廷で証言する大江さんの姿
  思い出します・・・
原告側の上告を退ける決定でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
太平洋戦争末期、1945年は
日本中が、過酷な状況でした。
大江さんは戦争について
沖縄ノート、ヒロシマ・ノート等を
発表しました。

『文化勲章』授与を断り
ご自身の道を『するべき仕事』の様に、
真っ直ぐに進まれた姿を見せて
下さった、大江健三郎さんでした。

右派系?か、又は何かの嫌がらせ・・・
らしい事も、本の中で触れていました。
ご家族も大変な想いをされた事と
推察してしまいます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
厳しい非難や中傷もありました。
ご自分の道を歩み続けた
大江健三郎さん

  最後の旅立ちをされました・・・
   



  ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!