珊瑚礁が美しい島でした。
(マーシャル諸島の一つ、ビキニ島又は
ビキニ環礁)
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1954年3月ビキニ島沖を、マグロ漁船
『第五福竜丸』で航行中アメリカの水爆実験
に遭遇し乗組員は被爆で焼死の中、
20歳の誕生日を迎えたばかりの大石さん
は被爆者への無理解に耐えきれず東京で
クリーニング店を営み、その後
第一子は死産でした。
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私の忘れられない対談でした・・
今でも脳裏に蘇ります。
大江さんはこの対談で
『日本人と核・という問題に最も真摯に
向き合い続けた1人と』、大石さんを
そのように感じたそうです。
2011・5・11日の対談
東京 夢の島『第五福竜丸展示館』
中継ではなく特別番組で拝見しました。
(2011・7・3)
被爆の恐怖について又、被爆者への
偏見についても話されました。
そして核兵器反対の大江さん、
平和利用推進の元、原発が進められ
東日本大震災で福島原発事故は、
大変な禍根を残し、
原子力発電についても
対談で話されたのです。
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『沖縄ノート』
第二次世界大戦、終末の沖縄戦
『集団自決に日本軍が深く関わった』
内容で、丁寧な取材の元に
本は出版されました。
旧日本軍・当時の隊長等が岩波書店と
作家大江健三郎の本を
出版差し止め、損害賠償を求めた
訴訟でした。
沖縄集団自決、軍関与を認めた
最高裁小法廷は
判決確定=大江さん側勝訴
2011・4・21
(ウイキペディアを参考にさせて頂きました)
法廷で証言する大江さんの姿
思い出します・・・
原告側の上告を退ける決定でした。
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太平洋戦争末期、1945年は
日本中が、過酷な状況でした。
大江さんは戦争について
沖縄ノート、ヒロシマ・ノート等を
発表しました。
ご自身の道を『するべき仕事』の様に、
真っ直ぐに進まれた姿を見せて
下さった、大江健三郎さんでした。
右派系?か、又は何かの嫌がらせ・・・
らしい事も、本の中で触れていました。
ご家族も大変な想いをされた事と
推察してしまいます。
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厳しい非難や中傷もありました。
ご自分の道を歩み続けた
大江健三郎さん
最後の旅立ちをされました・・・
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