言われ、貴金属店を退社して15年は
経ってしまいました。
売り場は違ったけれど、お昼休みに
行きつけの喫茶店、食堂でたまに
話をして、何と無くその延長で電話が
かかって来る元同僚が数人います。
ちょっと聞いてくれますか〜
と話し出した、、Aさん
私が在籍の頃に離婚をして
やむ無く仕事を始めたと話していました。
Aさんの育った環境は話によると
お手伝いさんがいて、裕福でお見合い
結婚だったようです。ご主人はお酒が
入ると暴力的になって、、お嬢さん
2人を連れて離婚されたと聞いて
いました。まだ娘さんはその頃
中学生と小学生で実家に預け仕事を
続けていました。
様々な事情を抱えて勤めていた方は
多く、私もその1人だったのです。
親御さんが数年前に亡くなられ
娘さん達も何とか社会に出て
Aさんも仕事を続け頑張っています。
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Aさんが今回話を聴いてください、と
電話してきた事
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このコロナ禍、娘さんの会社が
倒産になって、もう1人の長女の方は
結婚はしたけれど、結婚生活
は破綻、、実家に戻って来て仕事を
探しているけれど、中々大変で
『どうして私達を産んだの?』と言われ
Aさん、電話で話しながら涙声でした。
私が在籍の頃も、離婚後の生活
ご家族の事、悩んでいました。
私はただ聴いて「身体に気をつけてね・・・」
それしか言えませんでした。
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振り返って、我が家の娘達は
既に50歳代の社会人ですが、過去には
親子、姉妹、そして夫婦の激しい、
バトルは数限りなくありました(苦笑)
『産んで欲しくは無かった』娘達は口に
出せなかったのかも、しれません。
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コロナ禍のなか、厳しい生活を続けて
いる元同僚の話、コロナ禍では
なかったら、何か前向きに、仕事
等、理由はそれだけでは無いと、
思うのですが
考えさせられました・・・
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