2022年3月21日月曜日

一生分の涙を流した日・・


もう、数十年経ってしまいました。
最初に母から父が『胃がんの末期で
転移していて、助からない』と
泣きながら連絡があったのは
2月半ばの事、二人の娘を連れて
直ぐに、新幹線で北九州
の実家に行きました。


娘達は3歳と6歳、父は痩せて母は
病院につきっきりでソファベッドを
使用していました。
身体の循環が悪い為、全て管がついて
何とか話は出来たのです。

一月ぐらい、実家で過ごし、
毎日病院通いでした。
お見舞いの方が見えるので
その応対
 子供達は久々に従姉妹のお兄ちゃん、
お姉ちゃんと病院内のレストランで
食事をしたりが、楽しそうでした。
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ちょっと、紹介です・・
本州と九州の間にある小さな二つの島
満珠、干珠(まんじゅ、かんじゅ)
子供頃、海水浴でよく行った小島で
関門海峡の美しい景色の一つです。
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一旦、横浜へ帰っても父は大丈夫だからと
言われ、
帰り支度をし父の病室に寄って、
又戻って来るからと手荷物、子供達を 
連れて出て、エレベーターの前で、
『あ、バックを忘れた』
と病室に戻った時、
父がバックを指して私の不注意を
目で叱っている・・

忘れられない・厳しい最後の
姿でした。

新幹線で乗り継いで横浜へ向かいました。

帰宅して、スーツケースを置き
洋服もそのまま、、電話が鳴って
義姉から電話でした。
『おじいちゃん、もう、、危ない』
夫に連絡をして着替える事なく
 娘達を連れて九州へ戻ったのです。

父はモルヒネで痛みを和らげ、ただ、
眠っているだけでした。
その3日後、お棺に横たわって帰宅したのは
変わり果てた姿の父、71歳でした。
29歳の私は二人の娘が居ながら
只々悲しく、お通夜の席でも泣きくずれ、
自分を見失って、数日間何も考える事
出来ませんでした。
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父の葬儀に、長兄の姉から娘二人は 
幼いから、葬儀は大変なので 
 預かってもらってねと言われて・・・
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夫が、それは違う、孫だから
泣いても、騒いでも出席させない
のは、OO家では無いからか!
怒ったのですが、
葬儀は長兄夫婦の主導でした。


仕方なく友人に娘達を頼んで、
1日預けたのです。
葬儀の時も涙ばかりでした。
『私の時、、そんなに、
悲しむかしら』と言った母。

三月のあの数日、一生分の涙でした。
確かに、あれから涙を流して泣く事を
忘れたように、全くありません。
 

父の死後、想定外の事が重なり
厳しい生活もあって、娘から
『お母さんが涙を流すところ、見た事が無い』と
 言われたくらいですが・・

歳のせいでしょうか、最近は
ニュースで子供への虐待、理不尽な
 差別の事件、辛いニュースに
  涙で、目がしょぼしょぼです・・・
 (苦笑)




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