2021年11月4日木曜日

アレルギー反応、喘息、減感作療法、戦いでした。


知人のお孫さん、喘息で病院通いが
多いと、先日立ち話でしたが、
『うちも娘達、小学校時代〜中学まで
喘息との戦いだったのよ』と
話したのです。

〜〜〜〜〜〜喘息との戦い〜〜〜〜〜〜

娘達は大きく生まれましたが、
当時住んでいた場所が横浜磯子区でした。
磯子喘息と言われたぐらい、二人とも
喘息には、かなり悩まされ、
病院に通い続けました。

最初に試みたのは、呼吸器の鍛錬になるからと
(新聞からの情報かもしれません)
当時住んでいた横浜、緑区に開設された
『橋爪スイミングスクール』に通わせました。


オリンピック選手だった橋爪四郎さんが
開設されたスイミングスクール。
娘の同級生達も多く通っていました。


次女はまだ幼かったので、
バシャバシャと、水に揉まれていた姿は
今でも懐かしく、思い出します。
横浜から、この神奈川県のはずれに
転居しましたが、しばらくはスイミング
スクールに通っていました。


国立病院のアレルギー専門の内科で
診てもらう事になって
減感作療法、当時はアレルゲンを投与
する、皮下免疫療法も行いました。
かなり、長い期間の通院でした。


さらに国立病院で相談の上、
鼻腔の内部の腫れを取る手術も行いました。
(長女中学1年、次女小学校5年生)
出来る事は、後悔の無いようにと、当時
は一生懸命でしたが、娘達は
辛かったと思います。

長女が中学3年になる頃には喘息の発作は
年間を通して、ほぼ無くなり、
口を閉じて鼻で息ができる、と言って
とても嬉しそうでした。

子育ては、迷い、悩んで親と共に
成長するのかもしれません、私の場合は
子供から学ぶ事が、多かったのです。



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