同じクラスで2年間過ごしました。
Sちゃんと親しくなった理由は
ある日、Sちゃんが
『私、本当のお母さんでは無いの。
お母さんが亡くなって、叔母さんに預けられて、
叔母さんがお母さんになったのよ』
と、、寂しそうに話をしてくれたのが
きっかけでした。
私もいつも兄達から、
『お前は、可哀想に橋の下に
捨てられていたのを拾って来たんだよ』
と言われていて、私がお転婆だったのを、
少しからかうように話しておりましたが、
だから、兄達とこんなに年が離れて
いるのかと、思って、
『Sちゃん、私は橋の下から拾って来たって
いわれたの』
と真剣に話して、急にSちゃんと仲良し
になって行きました。
ある時、母はSちゃんのお母さんから
『橋の下』の話を聞いて、驚いて兄達を叱って、
私は戸籍上は次女で、長女が2歳の時、
何かの感染なのか、手術を繰り返して亡くなって、
その8年後に生まれたと、母が大事にしていた
2歳の女の子が雛壇の前でニコニコしている
写真をみせられました。
(母は幼い姉の死を、長い事受け止め
られず、話す事さえ控えていました)
“私も不幸な、可哀想な子供なのよ〜”
は終わったのですが
Sちゃんとの友情は長く、続きました。
戦後は橋の下で、、は珍しい話では無く
私の以前の職場で、売り場長?
番頭さん?のような方が5、6歳の頃
ガード下で社長と出会って育てられ、
学校へ行き、家の手伝いから
お店の事を任せられて、仕事をしていた、
という話も聞きました。
又、友人の父親は戦争で戦死、その後姉妹で
それぞれ縁者に引き取られ、
母親は若いからと再婚をさせられ、
家族バラバラになってしまった友人は
戦争さえ無かったらと、戦争反対の活動を
長くしていました。
世界中で幾つかの諍い、絶えません、
平和を願うばかりです。
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