10月末が次兄の一周忌、姪からラインで
法要の知らせでした。
波乱づくめの次兄の人生、長兄が
『羨ましいな〜お前の人生、
小説になるよ』
と、よく言っておりました。
北九州で元々船関係の仕事から
自分で会社を起こし
測量会社が順調な時は従業員30名位。
その頃が一番良かったのかもしれません。
〜〜〜そのあとが、大嵐の人生でした〜〜
測量会社で治まらないのが兄で、
次へと加速していきました。
新たに始めたのが中国茶でした。
順調な時もあり
甥、姪にも当時高額な物や、庭に勉強部屋
を作ったり、、しました。
兄嫁、母にも着物など・・・
それにはちょっと訳があったのです。
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その訳とは、
美人で評判の義姉と大恋愛で結婚、なのに
女性関係も色々あり、
母と兄嫁が一緒に
兄の浮気相手の女性に、それなりの手当で
始末をするような事も、あったのです。
(もう、笑えますよね、)
母は義姉を、自分の娘のように○○家の
娘になったのだからと言っていました。
兄は“苦労と我儘の共存”で生きて
いたように思います
高価な着物は後始末の詫びのつもり?
かもしれませんが。
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九州から、関東へ誘いがあって
ある会社へ相談役で入社したのですが、
その仕事は順調では無く、
辞めて直ぐに又事業を始めました。
既に60歳を過ぎておりましたが、
パソコンを買って自らホームページを作って
仕事を始めた時には正直驚きました。
順調に行った時もありましたが、
事故で骨折、かなり収入も減額、、、
それでも脳梗塞で倒れるまで
仕事を続けていました。
兄嫁は歳を重ねましたが、今でも美しさは
変わらず、甥、姪共に義姉を助け
あれほど、苦労させられた仏壇の中の兄に
お線香をあげています。
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遠い思い出
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あの我儘な兄に一度、
私のパンチでした(笑)
兄が輸入家具で失敗をした頃、
私もまだ30代でした。
失敗を資金が無かったからだと、言った時
『そんな事、負け犬の遠吠え
にしか聞こえない!』
と、言ってしまったのです
兄が驚いて12歳下の私を見たのです。
生意気な事を、と怒りませんでした、
“偉そうな事を言う年になったなぁ”
でした。
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