2021年9月29日水曜日

負け犬の遠吠えだわ!と言った、私

波瀾万丈の次兄の人生


10月末が次兄の一周忌、姪からラインで
法要の知らせでした。

波乱づくめの次兄の人生、長兄が
羨ましいな〜お前の人生、
小説になるよ』
と、よく言っておりました。

北九州で元々船関係の仕事から
自分で会社を起こし
測量会社が順調な時は従業員30名位。
その頃が一番良かったのかもしれません。

〜〜〜そのあとが、大嵐の人生でした〜〜
測量会社で治まらないのが兄で、
次へと加速していきました


その時は、輸入家具に手を伸ばし失敗。
大借金を抱えましたが、
それでも、兄は大借金を取り返そうと
新たに始めたのが中国茶でした。


順調な時もあり
甥、姪にも当時高額な物や、庭に勉強部屋
を作ったり、、しました。


兄嫁、母にも着物など・・・
それにはちょっと訳があったのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その訳とは、
美人で評判の義姉と大恋愛で結婚、なのに
女性関係も色々あり、
母と兄嫁が一緒に
兄の浮気相手の女性に、それなりの手当で
始末をするような事も、あったのです。
(もう、笑えますよね、)
母は義姉を、自分の娘のように○○家の
娘になったのだからと言っていました。

兄は“苦労と我儘の共存”で生きて
いたように思います
高価な着物は後始末の詫びのつもり?
かもしれませんが。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

九州から、関東へ誘いがあって
ある会社へ相談役で入社したのですが、
その仕事は順調では無く、
辞めて直ぐに又事業を始めました。

既に60歳を過ぎておりましたが、
パソコンを買って自らホームページを作って
仕事を始めた時には正直驚きました。

順調に行った時もありましたが、
事故で骨折、かなり収入も減額、、、
それでも脳梗塞で倒れるまで
仕事を続けていました。

兄嫁は歳を重ねましたが、今でも美しさは
変わらず、甥、姪共に義姉を助け
あれほど、苦労させられた仏壇の中の兄に
お線香をあげています。
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遠い思い出
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あの我儘な兄に一度、
私のパンチでした(笑)

兄が輸入家具で失敗をした頃、
私もまだ30代でした。
失敗を資金が無かったからだと、言った時

『そんな事、負け犬の遠吠え
にしか聞こえない!』

と、言ってしまったのです
兄が驚いて12歳下の私を見たのです。
生意気な事を、と怒りませんでした、
“偉そうな事を言う年になったなぁ”
でした。




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