2021年9月27日月曜日

もう連絡しないで、と、意外な返事に戸惑った私。


コロナ禍でなかなか会えない友人から、
メールが届いたり、
電話が掛かったり、かけたりですが、
なんとか元気確認が、続いています。

先日久々に、Sちゃんからの電話。
元気確認と同窓会の話へとなりました。

小学校の頃、同じクラスのSちゃんと
Eちゃんと私は、仲良し3人組でした。

同窓会の席では、よくSちゃんから
「その後、Eちゃんと連絡は?」
と聞かれ、首を横に降るだけでした。
(私とEちゃんは関東圏に住んでいたので)

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Eちゃんとの別れの始まり
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あの時代だったからでしょうか、
小学校6年生の時、Eちゃんの休みが続き
私とSちゃんが家を訪ねて行ったのです。
Eちゃんが妹をおんぶして家から
恥ずかしそうにでてきました。


Eちゃんはこの姿を見られたくなかった、
そのように、後から思いました。

中学校も一緒で、クラスが違っても
仲良し3人でした、ある時から学校で
会えなくなって、Sちゃんと先生に
聞きにいきました。


Eちゃんは一駅先にある診療所で
お手伝いをしていると聞き、
私たちは訪ねて行ったのです。
会いたかったし、一緒に
学校に、、とあまり深くは想わず
考える事も出来なく、訪ねていきました。

古い感じの診療所でした。
Eちゃんは喜んでくれたのです。
でも、学校は続ける事が出来ないから
勉強をして、看護婦さんになるから、
と話してくれました。
勉強が好きで、頑張り屋さんでしたから、、
頑張ってねと別れて
それからは、音信不通
・・・
Eちゃんと会ったのはこれが最後でした。


十数年経って
(既に私は神奈川県に住んでいました)
Eちゃんは東京よ、とSちゃんから連絡があり、
住所と電話番号を
聞いて、手紙を出し、
電話もしました。
喜んでくれて、雑貨店を営んでいると話し、
是非その内に、でした。

まもなくして
Sちゃんが東京に来るからその時3人で
会いましょう、、と電話をしたのです。
最初は懐かしい話し声、でした。
でも最後に
「もう連絡はしてこないで、
辛い事を思い出すから、、」と。

言葉が出ませんでした。
赤花のイバラ
誰もが辛かったり、何かを背負いつつ
生きているけれど
 勉強が好きだったのに、小学校は休みがちで、
そして中学校を卒業出来なかった、Eちゃんの
辛さを
量り知る事が、出来なかった私、
恥ずかしく、気持ちが沈みました。

Eちゃんが元気で、過去の辛さを少しでも
何かで穏やかに過ごす事が出来ると
いいのだけれど、と思った一日でした。




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