『武相荘』の住人は
白洲次郎・正子夫妻が
かって暮らした住居です。
20年前に『白洲正子』の随筆を読み
陶芸、能楽、多趣味で・・
住居が公開されている事を知って
行きました。
写真で、ご紹介出来無いのが残念ですが
囲炉裏のある部屋と
暖炉があって、タイルを敷いていたのが
珍しく、印象に残っています。
鶴川という都心からやや離れた場所に
茅葺きの建物もあって
豪華では無く、ゆとりのある
暮らしを感じました。
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語学が堪能な白洲次郎の
エピソードは、色々ありますが、、
有名な話・・・
昭和天皇からのクリスマスプレゼントを
もって、連合国総司令官マッカーサー元帥の
元へ届けた時『その辺りに置いてくれ』
と言われ、天皇からの贈り物を
存在に扱われ、、激怒して
『仮にも天皇からの贈り物を!!』
だったそうです・・
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正子の書斎は、慎ましい感じでした。
青山二郎(陶器鑑賞・骨董鑑識家)との
出会いは正子に大きく影響を与え、、
陶芸、随筆へと白洲正子の心は強く
進んだようです。
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〜閑話〜
これは、『白洲次郎』が書いた本です。
プリンシプル(原理・原則)の
ない日本・・
イギリス留学が長かった為か
英国のストラフォード伯爵家との交流で
影響を受け
『田舎にカントリーハウス(マナー・ハウス)
を置き、都会にタウン・ハウスを持つ
英国貴族の、ライフスタイルを好みました。
贈られたお酒の樽が置いてあったのです。)
鶴川村に自宅『武相荘』を構え
田舎暮らしを夫妻が好んだ様子が
伺える住居です。
古民家ですが、贅沢な建物でした。
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白洲次郎・1985年、肺炎で83歳死去
白洲正子・1998年、肺炎で88歳死去
白洲次郎は生前から、葬式、戒名は
要らぬと近親者に伝え、次郎、正子
両名の墓跡に戒名は無く、梵字が
刻まれているとあって、実際に私達が
『武相荘』で拝見した文書の中で
この事は記されていました。
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毎月、一度病院通いで通過途中の
鶴川駅です、偶に『武相荘』を
思い出します。
急激に変化したネット社会!
昭和〜平成時代の一端を担った
『誇り高く政界、財界、趣味人』だった
お二人は、多分驚いていると
思います、今を〜・・・
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