義母が84歳の時に同居を始めたのは
私が50代半ばの頃でした。
同居から1年後くらいの時、
白内障の手術をする事になったのです。
入院前の検査の時でした。
検査の先生から、生年月日を
仰って下さいと言われ、
大正**年、それから誕生日を、
夫の9月の誕生月と日にちを言ったので、
私が「お義母さんは、11月でしょ?」
と言うと、義母は怒りだしたのです。
私は9月なのよ!でした。
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(宗谷岬)
その時夫は、北海道、宗谷→襟裳岬→宗谷の
1000kmのウルトラマラソンに
参加している最中の事でした。
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病院で義母は、
『あんたははダメ、**(夫)を呼んで』
と言い始めました。
検査の先生は慣れているようで、
『はい〜わかりましたよ〜』
で終わりです。
義母は、私を信用出来ないと思ったようです。
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義母が癇癪を起こすと
普段でもちょっと困った事がありました。
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南側の部屋が義母の部屋で、
自分の家と思っていたようです。
私が居間で新聞を読んでいると、
急ぎ足で『黙って』新聞のテレビ番組表を、
もぎ取るように部屋に
持って行き、怒っているようでした。
義母に最初から新聞の番組表を
渡さなかった事に怒ってしまった・・・
そんな感じでした。
一瞬何が起こったかわからず、
面食らってしまいました。
多分テレビの番組表は
夫が普段、渡していたのでしょう。
私の仕事が休みで、午前中でしたから
義母の昼食を用意し、私は
バックを持って家を出て、映画を見てから
夕方帰宅しました。
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義母は『私は我儘だから・・・』と
良く言い、我儘な義母を、家族、
従姉妹の叔母さんまで認めていて、
仕方が無いから〜が
共通の理解だったようでした。
元々、周囲への配慮をする義母では無く
又他人の陰口を言うような人でも無かった
ですから、病気の夫の世話と
生活で精一杯だった義母を、改めて
強い人だったと想います。
同居を始めた頃、郵便局で自分の年金を
下ろして、お金を長椅子の上に
並べて数え、友人も周りの人も驚き
注視してしまったと・・居合わせた
友人のアドバイスで、お金の事は夫の
管理になったのです。
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くどくど不満を言い続ける事は無く
楽な面も多かった気がします。
思い込みが強く人の話は全く聞かない、
既に、同居の頃から認知症は
始まっていたのかもしれません・・・
今日は義母の”誕生日”で、
あの日の出来事が可笑しくもあり、
少し辛い日でした・・・
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