人種、貧しさ、富豪〜無関係に生まれます。
何処に生まれるか、男?女?
全く選択できない、赤ちゃん。
後は、環境、親の希望だったり、
自分の目覚めた方向に、
努力するのかもしれません。
夫曰く、人は元々自分と他を
異なると思うのが自然で、
『お前(これも差別)
の言っている事は、無駄な問題』
と上からバッサリでした。
その通りかもしれません。
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被差別部落出身者を支えた運動
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『水平社宣言』から100年
の記事でした。
ふと差別って何なのかしら?と思いました。
異文化への不安?でも無い気がします。
戦後〜多くの外国船が停泊し、
色々な国の人が行き交う、
そんな街で育ったのです。
父は、定年後の暮らしの為に数件の
家作を持っていました。
台湾の一家の方がいらっしゃいました。
母は、数件借りてもらっているけれど
台湾のTさんが一番家を綺麗に
使ってくれていると、話していました。
台湾のお菓子を作って
持ってきて下さった、Tさんです。
ある時、Tさんの息子さんに結婚話があって、
私の両親へ相談に来ました。
娘さんの親御さんが、『台湾の人』だから、
という理由だけで、
反対をしていると言う事でした、、
私の両親が娘さんの
親御さんと話をすると、結婚相手に
問題が有るわけではなく、ただ台湾の
人だから反対をしている・・・・
外国の人は反対という事でした。
お互いの両親は困ったようでしたが、
当人同士の意志は固く、両親の説得に
時間がかかりましたが、結婚式の
仲人は私の両親でした。
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学校でも、中国、韓国 アメリカ・・
数人でしたが、外国の同級生が同学年でした。
外国人と言う感じは、全く無かったです。
珍しい事ではなかったですし、
私のポニーテールの髪の毛をひっぱった
男の子から助けてくれたのは
背が高い韓国人の男子でした。
頼もしい感じがした、
遠い思い出です・・・
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