長女は25歳で既に社会人、次女も22歳
で、就職も決まった年の事でした。
夫の海運関係の仕事は
不況が続き、1990年代。
夫と、横浜の親戚に用事で行きその
帰り、車の中でした。
突然、九州に帰って再出発を考えている。
娘達は自立したし、両親の今後も
視野に、九州で生活
をしたいと、話し始めたのです。
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一瞬、私達を捨てて九州に帰って
生活?と思った程ショックでした。
私は、49歳だったのです
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九州に帰って再出発の決心、
これには理由がありました。
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義父が54歳で脳血栓になり、半身付随に
なった義父、中学生の弟、高校を卒業
したばかりの妹、私達も結婚直後でした。
結婚早々から毎年ボーナス毎の
送金は、義母同居まで続きました。
夫は長男として長く両親の事を、気に
かけていましたから、娘達の
自立で、決心をしたように想いました。
数ヶ月かけ計画をし当然、九州の義母に
相談して進めたのです、車で九州まで
行って、私は新幹線で神奈川へ
帰りました。
大分の家が落ち着き、仕事の目処が立つと、
私も九州で転職を、するつもりだったのです。
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夫が九州へ行って半年経ち、家の
改装も進んでいた最中でした。
九州の義母が電話口で怒っています!
何も言えず、、聴くばかりでした。
『頼んでもないのに、かってに00(夫)は
家を改装して、あんた達は勝手すぎる!』
同じ話を繰り返し・・
『腹が立って仕方がない!』
ただただ、怒り続ける義母に
『ごめんなさいね、もう少し待って
下さいね』と
謝ってばかりでした。
後々聴くと、雨で仮設のトイレで滑り、
義母が大変だった、、その事
で、イライラのようでした。
◆夫、妹弟、元気な時の義父も怒り出す
お義母さんには逆らわず、
無抵抗の術で、対処だったのが日常
だったようです(苦笑)
私への怒りはストレスで、吐口だった
と、後で分かりました。、
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リノベーションが終わる頃、全く想定外
の出来事に〜又いつか綴ります。
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義母の、こんな一面もありました。
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父を早くに亡くし、北九州の母が
私達と過ごす為
お正月を一緒にと大分に招いて
下さったのです。
母も、自慢の手編みの襟巻き、北九州の
お土産を持ってお正月を何回か
一緒に過ごしました。
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滞在中、大根、里芋、等
妹、弟、私達、多人数だったので
とっても食材の助けに、なりました。
この自然な庭が、私は好きでした。