2022年4月10日日曜日

桜満開〜意外なところで『陰口』◆夜、車で神奈川→九州へ行った日

4月のあの日
夜、義母から『父さんが亡くなったのよ!』
と連絡があったのは、私が仕事から帰宅した、
夜7時ごろの事でした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
義父の事
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
長い療養後、義父の生涯は86歳の時
九州の介護施設で椅子から落ち、
頭を強く打って、最後になったのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

その日夫へ連絡が付かず
(携帯はまだ持っていない頃)、
帰宅は10時頃の事、
急いで義弟に電話して車で行くからと伝え、
静岡で運転を変わって夜中も走り続け、
大分に着いたのは翌日でした。

日産の車を買ったばかりの時でした。
車で帰ったのは、諸々の費用節約
田舎では動き回るのに乗用車は必要でした。


大阪の妹夫婦も、家族を連れて
車で帰っていました。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
当時の娘達の状況
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
長女は、結婚したばかりで新婚旅行と
娘婿の仕事も兼ねた
『アメリカ行き』で旅立って2日後でした。
一応知らせましたが、、葬儀にも
間に合わないから、、後日にとの
夫の判断でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次女は、大学卒業→商社→退社→ソウルの
延世大学留学が決まって、4月始め
渡韓したばかりでした。

確か大使館に届けたのか、次女の連絡先は
分かっていましたから連絡はしたのです。
知らせを聞いて、私達が着いた
その夜、遅くに福岡空港に着いて
そこから、電車で乗り継いで
帰って来たのです、、妹の夫、Mさんは
車で空港まで迎えに行ってくれたの
ですが、当時まだ携帯電話が
今程、普及していなかった時代でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お葬式の、合理的な田舎のしきたり
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
葬儀場ではなく、『よりあい』で葬儀
の準備をすることになっているのです。
義母はご近所の皆様に**の
費用で、お願いします、のようでした。
葬儀は自宅で、ご近所の協力はとっても
助かりました。
===================
『意外な場所での陰口』
『しきたり』で執り行われたお葬式の後
近所の家で昼食を用意して下さった
のです、ご近所の方も多数同席でした。
隅の方でお茶を
頂いていた時、私が親族とは
 思わないで、話したのでしょう。 
『お酒が少なく、、ケチくさい、料理だ』
(こんな事言うの!?恥ずかしい事!)
 私の心の中での文句でした・・ 

前日の夜の相談で
義母が『こんな時だから、お金は出来るだけ
必要な分は”父さんの為だか”
出すからね〜〜』と・よりあい・
のみなさんと話しているのを、
聴いていました。 
使途について義母は、信頼しての事
だったと思います・・・
義母はよその家の事、悪く言う人では
全く無い人で
信頼されていたと思います。
それなのに、こんな事言われるなんて
義母に話す事ではなく、私の中で
人は、分からない〜といつも思います。
(ブログで、、又々夫、びっくり
かもしれません・笑)
====================
長女夫婦は初盆の為私達と九州へ車で
行き、お墓参りと親戚の皆様との
会食で、叔母さま方の多さに
  驚いた娘婿でした!(苦笑)
義母、義父の兄弟、の多さ私も
  分からないくらいですから・・・
1995年の4月10日、もうあれから
27年経ってしまいました。




 ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!