食事のおかず、夫は魚派、私は肉派。
妥協しつつの食生活です。
(ちょっとレアなミディアムステーキ)
私が魚料理をする時は、焼き魚が
主流で煮魚は苦手です。
人の嗜好は10歳まで馴染んで来た
もので、好き嫌いが殆ど決まると何かで
読んだ気がしますが、食べ物に限らず
育った環境と戦前、戦後、の僅かな
数年の環境の違いで夫と私は大きく
違ったように感じています。
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終戦20〜30年
幸にして私共の両親は健在でしたが、
同級生の中には、戦争で家族を
亡くされた方
珍しくは無かった時代でした。
それと、戦後、ここは外せない
あの経験、脱脂粉乳!です。
昭和25年〜からでしょうか。
給食で、まずいミルクと肝油をやや
強制的に、でした。
(お陰で元気に成長したのでしょう)
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と言ってもいいです(笑)
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私が小学校に行く頃は
兄達は既に20歳を超え食べ盛りの頃。
母は、食事には苦労したはずです。
物が無く、兄達がいつも言っていた
『血が滴るステーキって美味しんだよ』
この言葉、私の脳に刷り込まれ
ちょっとレアな、ミディアムステーキ、
ボーナスが入ると、自宅で焼いた
ステーキでした。
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1969年
月給6万円 お肉100g=120円
バス代=15円 食パン=40円
県公社への家賃1万でしたから、
お給料の割には食費は厳しかったです。
この時代、インスタントラーメン
にお野菜をたっぷり入れて娘(4歳)と
分けて頂いていました(苦笑)
すき焼きは大変なご馳走
だったのです。
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池田内閣所得倍増計画〜1972年
ほんの少し良い時代だった頃の事です。
お給料36万円(位)
お肉100g=200円
和牛はちょっと高額ですから、
挽肉料理が中心
ハンバーグ、ピーマンの肉詰め等
良く作りました・・
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現在は
家族が集まる時長女が用意してくれる、ローストビーフ
歯も弱くなって・笑
とっても美味しいのです。
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