父は独身の頃から謡曲を嗜(たしな)み、
私は子守唄のように聴いて馴染んで
いました。
謡曲の一人用・見台(けんだい)=机
お酒は全く好まず、食事にうるさかった父。
毎週『謡(うたい)』を習いに数人の
お弟子さんが通い、父が『**会』と
命名した会は70歳で亡くなるまで
続きました。
(父から最初に習った仕舞い=羽衣)
見台をお座敷に並べるのは小学校の頃から
私の役目。兄達は上手に逃げ、
私は仕方なく仕舞いと定例会の為
『子方(こかた)の役をさせられました。
父から謡曲と仕舞いの授業を
受けましたが、何かと理由をつけ、
真面目ではありませんでした。
それから数十年後、想定外の事が重なり、
私はストレスが溜まっていた頃、
ネットで観世流の定期公演のチケットを
求める事が出来、国立能楽堂、
矢来能楽堂に通うようになりました。
国立能楽堂=渋谷区 千駄ヶ谷
矢来能楽堂=新宿区 神楽坂
謡曲、能楽独特の笛の音色、鼓の響、
この雰囲気が私の精神安定剤になって
不思議な安らぎでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お正月の、謡会初めは〜料亭でした。
北九州市の
『山水園』だったと思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜