2022年1月17日月曜日

兄達は上手に避け・末っ子の立場◆半世紀ぶりに蘇った響き


 父は独身の頃から謡曲を嗜(たしな)み、
私は子守唄のように聴いて馴染んで
いました。
謡曲の一人用・見台(けんだい)=机


お酒は全く好まず、食事にうるさかった父。
毎週『謡(うたい)』を習いに数人の
お弟子さんが通い、父が『**会』と
命名した会は70歳で亡くなるまで
続きました。

(父から最初に習った仕舞い=羽衣)

見台をお座敷に並べるのは小学校の頃から
私の役目。兄達は上手に逃げ、
私は仕方なく仕舞いと定例会の為
『子方(こかた)の役をさせられました。

父から謡曲と仕舞いの授業を
受けましたが、何かと理由をつけ、
真面目ではありませんでした。 


それから数十年後、想定外の事が重なり、
私はストレスが溜まっていた頃、
ネットで観世流の定期公演のチケットを
求める事が出来、国立能楽堂、
矢来能楽堂に通うようになりました。

国立能楽堂=渋谷区 千駄ヶ谷
矢来能楽堂=新宿区 神楽坂 

謡曲、能楽独特の笛の音色、鼓の響、
この雰囲気が私の精神安定剤になって
不思議な安らぎでした。
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お正月の、謡会初めは〜料亭でした。
北九州市の
『山水園』だったと思います。
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最後の(お正月、初稽古)になった
料亭での写真。
父は袴姿、母は料亭の庭でした。
いつも私の机から見える所に
置いています。

この日の為に、数ヶ月前から『仕舞い』と
披露する『謡曲』の準備で、お弟子さん
 も両親もお稽古に励んでいました・・・
数十年経って、この時のテープで録音した
『道成寺』を娘がCDにしてくれて
父の声が蘇ったのです。

あの世で、驚いているのは両親
かもしれません(笑)




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