ラインで『手術の具合その後は?』と連絡があり
友人のHさんと公園で、暫し会話の時間を
持ちました。
私は今のところ、順調に快復だけれど、
3年間は経過検査期間が条件付き
で放免みたいよ〜と伝えました。
Hさんのご主人様は2月早々に
亡くなられたばかり。
『少しづつ、整理して今後の生活計画も
考えないと、と思いつつ
夫の物には、中々手がつけられず、、
困ってしまっているのよ
ご主人様が元気な内に、色々な事
整理出来れば、それが一番いいわよ』と
居なくなって、返って整理が進まなく、
困ってるわと話すHさん、亡くなられて、
返って整理しにくい、分かる気がします。
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Hさんご夫婦『戦争への想い』
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5月15日、沖縄復帰の
記念式典で各局が報道していました。
Hさんのご主人様、沖縄出身です。
以前、私達夫婦にとって、辛い8月ですと
Hさんのご主人様は話していました。
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Hさんの事
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お父様が戦死され、まだ若いお母様は
他家へお嫁にと勧められました。
『母は選択出来る立場に、無かった』
と話す彼女は、後々お母様を理解しましたが
小さな姉妹は、別々に知人に
引き取られたそうです。
『毎晩寂しくて泣きながら眠った子供時代、
全て、戦争さえ無ければ』
と言葉少なく話していました。
Hさんとは読書会からの友人で
中学からミッションスクールに行き、
大学もミッション系、語学が堪能で
海外から原書を取り寄せ、
絵本、児童書を私達にも分かりやすく
音読をして、楽しい読書会の時期が
ありました。
Hさんの静かで優しい彼女から、辛い子供
時代は意外で、想像も出来ず、
淡々と話すのを聞いたのは
樹木伐採から『緑を守る会』の活動で
お互い協力して殆ど毎日話し合いを
しながら距離が縮まったときでした。
文庫活動から、既に何年も経って聞いた
事情でした、、
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Hさんの、養父母はこのコミュニティ
の近くのマンション(エレベーター付き)
に住んで一時期私の義母とも、
デイサービスで
ご一緒の時もあったのですが、早くに
交通事故に遭い長い入院生活の後
他界されました。
マンションは賃貸で、借りてもらって
いるけれど、今の住居の環境が気に
入っているから、
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数日、続いて姿見えず〜でした)
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出来るだけ住みたいわ・・
山が好きで、先日も近くの山へ
学生時代の友人と歩いて来たと
話すHさんは私より3歳上。
『足腰だけは気をつけてるの、本当に〜』
私は・・・
歯磨きしながら、スクワットでは
生やさしかった・彼女の話を聞き
反省です(苦笑)
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