長兄は、戦後早々に東京の大学
へ入学しましたが、食糧難もあって
身体を壊し卒業前に九州へ
帰ってきました。
健康を取り戻し、新聞社へ
入社出来ましたが、、
長兄は持病の喘息がありました。
それでも激務に耐えて『報道』の
仕事に誇りと熱意の結果、
70歳まで現役で勤め、癌に冒されて
余命宣告の半年後に、
亡くなったのです。
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長兄が亡くなる前の事です。
次兄は輸入家具へも、手を広げ
商事会社を既に起こし
良い時期もあったのですが、外国
との取引に失敗をし、
兄に借りたお金の返済が、かなり
厳しくなったようです。
長兄が次兄へ出資した目的は、
次兄が興した事業へ投資をし、
軌道に乗れば、自分の健康状態
が不安だった事もあって
退社して=弟の会社役員で、
関わるつもりだった・・・
ところが兄弟で仕事をする事に
反対だったS子お義姉さんは
義理の関係を『嫌がる?』様な
表現で私に『親戚はいらない!』
と言ったのです。
驚いて、
「もしかして精神的に少し病んで
いたお義姉さん?」と、一瞬思った
くらいでした。
今思うと兄の仕事は激務で、
家庭を守るお義姉さんも又、大変で
夫婦の関係は相当厳しかったと
想像します。
長兄夫婦の問題も、全て次兄へ
向けられて行った・・・
子供達は迷惑な話です。
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<母が亡くなった>
兄弟不仲の最中、母が他界で
長兄は00(弟)に葬儀には
帰ってこない様に言ってくれ
と言われ、理由は葬儀が
メチャメチャに
なるから、、でした。
(後々この理由を理解しました)
次兄は母の写真の前で
F子お義姉さんと、泣いて冥福を
祈ったと、聞きました。
あって早退し、夫と長女に連絡して
次女へは連絡が遅くなり・・
当時は学生で夏休み中でした。
学校の山の家だったのか・・
夫は、今回次女へは後から
知らせると言う事で、長女と
その日に羽田→福岡→小倉(夜中)へ。
そこから、タクシーで安置されて
いるお寺に行きました。
S子義姉さんは心が病んでいた
としか思えない状態でした。
(兄は短気で神経質な性格。
私も兄妹ですから・苦笑)
長兄が「葬儀がメチャメチャになる」
と言った理由はこれでした。
私は、唯々S子義姉さんに
困惑するばかりだったのです・・
母の亡くなった夜の出来事
でした・・・
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