母が他界後、数年経って私の
乳癌手術でした。
(夫は当時、失業中で九州にいました。
私の術後、半年位だったと思います。
船関係は不況で・・・二転三転です)
その後、再び横浜・船関係の仕事に
戻りました。
ほどなくして、長女の職場に
営業で来ていたNさんと
親しくなって、結婚でした。
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長女の結婚式・予想外だった
驚きと、又、可笑しくもありました。
芝公園近くのレストランでの
結婚式でした。
次女がお祝いの讃美歌を
歌い始めると、涙を
流して喜ぶS子お義姉さんに
びっくり!でした。
『親戚なんかいらない(呼ばないでいい)!』
と言ったS子お義姉さんでしたが、
披露宴中はとっても喜んで、
終始笑顔で周りの方々と
話していました。
それは『母の葬儀』で狂った
ように、見えたお義姉さんとは
別人。
次兄夫婦も一緒だったらと複雑な
気持ちでした。
長女とNさんが披露宴の計画をし
共通の仕事関係の挨拶、
Nさんの弟さんが家族のエピソードを話し、
次女も、長女を中心のエピソード
披露宴が続く中〜
長兄が自分は挨拶をと、用意
していたらしく・・・
私に何時、挨拶を?と
聞くので〜
『しなくていいのよ、気にしないで』
驚いたのは兄だったようです。
多分挨拶をしなかった結婚式?は、
数年無かったはず、、
姪の式ですから『親族代表』で
前から準備だったのでしょう、、
(苦笑)
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〜閑話〜
母は娘を一人お嫁に出すけれど、
二人の娘が出来るから、こんなに
嬉しい事は無いと喜んだ
母でした・・・。
『兄弟は他人の始まり』
私の結婚が決まって、九州を
離れる時でした。
母から血縁と他人との関係の中
『覚悟』の教えでした。
この覚悟で父が突然
言い始めた事があります。
可笑しい話です・・・
次回又お話させてください。
九州→横浜へ当時は、外国へ
お嫁に・・・(今は宇宙!?)
かなり大決心だったのです・・
両親共々(笑)
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