2023年4月14日金曜日

兄弟不仲〜嫁・姑の亀裂〜②過去の事情が起因    


母は、胃潰瘍治療後、骨折で長い病院
生活の中、亡くなりました。
母、死亡の知らせは長兄から
仕事中に連絡がありました。
その時『次兄には知らせても、
九州へ葬儀で帰ってこないように』と、言われ
電話で口論になりましたが
電話は切られたのです。

夫、娘達へも知らせて仕事を早退し
九州へ向かいました。
羽田から〜福岡、そしてタクシーで
菩提寺に着いたのは
夜中の12時過ぎでした。 
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やっと着いたお寺で、挨拶もそこそこ・・
 長兄のS子姉さん、待っていたのでしょう。
『お金の問題』と、
母への長年の恨み・辛み』が
私への怒りとなって
2時間程続き、異常でした。
 (次兄に来ないように、はこの事でした) 

   私は黙って母の事を、想っていました。   
  兄が『(S子は)こう言う人だから、勘弁してくれ』
と言ったのです。
S子姉さんの精神が、病んで
しまっているとしか、思えませんでした。

その後、お棺に横たわっている母に会うのは
2年振りで『葛藤から』母は楽になった
と、思いました。

 お棺の母は、浴衣姿だったのです。
忘れられない最後の旅立ちの母は 
死装束では無く、自分の無力さと、
母に『ごめんなさい』・・
この時初めて涙が溢れてしまいました。
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長兄から葬儀に『出ないでくれ』と
言われた次兄夫婦、
母の葬儀の日、1日写真の前で
 泣いていた・と  
後々、次兄のF子姉さんから聴きました。
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兄の仕事の関係で、母の葬儀は
大袈裟な葬儀でした。
一番大事な母への配慮も無く・・・と、
兄に不満も言えず、頭は混乱状態で
式は終わったのです。

母が他界し、少しはS子姉さんの
気持ちも落ち着いたかしら・・・が
そうでは、ありませんでした。
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S子姉さんは元々姉妹と母、3人だけで
戦後を生きた、厳しい家庭の
事情がありました。

『とても、貧しかった』と私に話した
S子姉さんは、私が高校生の頃、正直で
明るい感じの人で、私は最初の頃
お義姉さんを慕っていたのです。

『みじめにならない程度のお金』は 
必要なお金です・・
多分、惨めで仕方が無かった時代が
 起因して・・
お金の力が一番と、思い込むように
 なったのかもしれません、、
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  この次には我が家の行事です・・・

 読んでくださって、ありがとうございます・・
出来るだけ読みやすい文をと 
いつも、、悩みます(苦笑)





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