七夕のこの日九州で生まれた
次女の誕生日
長女の出産で、私の母は横浜の集合住宅に
1ヶ月近く滞在し、膝に水が溜まる持病を
お灸で抑えながら、産後、孫、全ての家事を
64歳でしたが頑張っていました。
集合住宅の4階で、エレベーターが無い
アパートですから、足の負担がきつく、
次女の時は九州で出産をして欲しいと
言われていましたので
次女のお産は早めに長女を連れて
九州に帰り、出産でした。
YS11の古い飛行機で羽田から
北九州の曽根飛行場へ
当時夫は
『緊急着陸等で予定していた産院で
お産ができないなど、万が一の場合の費用は
全額自己負担する』という旨の
日本航空の誓約書にサインさせられ、
かなりびびった(笑)そうですが、
その時覚悟をしたそうです。
3歳の長女を膝に座らせていたら、
サラリーマンの方が
すぐに席を譲ってくださったことを
今でも良く覚えています。
飛行場では私の両親が
兄の車で迎えに来てくれて、
”あんなに小さい飛行機で良く帰ってきたな”と
驚いていました。
プロペラの飛行機でした。
昭和44年、7月7日の
誕生でした。
九州の実家に近い産婦人科で出産
アルバム
長女は子供の頃から
「パパ、●●ちゃんを怒らないで!」と言う、
長女意識というより優しい子供でした。
何しろ親が”鬼”でしたから大きくなっても
仲の良い姉妹です。
コロナ禍で、もう1年半以上会うことは
出来ないし、時間はかかりそうです。
『日本と韓国の架け橋となる仕事を』と
商社を辞め、語学留学をし、通訳、ライター他
韓国・ソウルで頑張っている娘へ。
お誕生日おめでとう!
コロナ禍です、なんとか夫婦で乗り越えてね!
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