月に1度、都内から娘夫婦が敷地内にある別宅に帰り、
一緒に食事をする事を、夫も楽しみにしています。
盛り合わせ、が習慣になりました。
私達には孫はいないのです。
社会人なると早々に
今の家から独立、それぞれ会社に近い
場所のマンションで、生活をしていました。
私は、かなりうるさい母親でしたから、
就職と同時期に待っていたように、
二人とも家を出ました(笑)
私達の時代はとにかく、結婚はしなくてはいけない。
結婚すると、子供を産み、育て、家を守るのが
『女性の生き方』で育ちました。
結婚して直ぐに義父が病に倒れ、その後、
夫の家族へのサポートは長男として当然で、
お金の事も含め厳しい生活でした。
私の奥歯に虫歯が2本出来、通院は遠くの
医院でしたので2本とも抜いてしまい、
(長女4歳、次女7ヶ月、私は27歳)
歯医者さんが驚いて、本当にいいですか!?
でした。
私の母は優しい人でしたが、
結婚したら苦労は当然で、苦労しながら
お互いが信頼して支え合うのが
『結婚』と言う考えでした。
なんとなく...私は母と同じ考えではなく、
娘達にはまず自立して、自分の道を
歩んで生きて、その先で共に認め合える人に
出会った時に、早くても遅くても
結婚を考えれば良いと思っていました。
子供の頃から、二人とも小児喘息で呼吸器の
鍛錬にと、水泳教室に行かせたり、、、
小児喘息治療に最もアレルギー検査で
進んでいると聞き、国立の病院へ通い、
減感作治療と鼻腔の手術で入院。
長女中学1年生、次女は小学校5年生でした。
術後の治療は、国立病院、
耳鼻科、近くの医院と、それぞれ、
呼吸器、発作の治療で3つの病院へ通い、
病欠で休む事が多かったです。
病院通いは子供にとっても大変でしたから
治療が終わると、お楽しみをと
ご褒美(わずかな)を用意しました。
この治療は長く続きました。
喘息は治さないと、将来お産で苦しむと
思ったのですが(苦笑)
娘達にとって、鬼のような母親
だったと思います。
2019年に次女が夫婦で帰ってきた時、
作ってくれたアルゼンチン料理、エンパナーダ
(お肉をパン生地で包んでオーブン焼いた料理)
長女が帰ってくると、巻き寿司を
多めに作って冷凍
(少しづつ、足りないおつまみに)
獅子唐芥子とちりめんじゃこの炒め物
先週末の娘婿の料理
夫は分かりませんが、私は孫が居たら〜とか
欲しい、と全く思った事は無いのです。
ご近所では、時々お孫さんの様子を伺い知る事は
ありますが、きっと私は孫がいたら
コロナ禍で余計な心配をしそう、、、
不眠症がひどく
眠れない夜が続きそうです(苦笑)