昨日投稿した私の文章を読んだ夫から、
義父のお骨の説明の部分で、クレームです、、、
「九州からそのまま移動して霊園に納骨したわけではない。
分骨で代々の九州の墓に祖先と共に眠っているんだ」と。
そうなんです。義父は半分九州でした(苦笑)。
中津城
「九州からそのまま移動して霊園に納骨したわけではない。
分骨で代々の九州の墓に祖先と共に眠っているんだ」と。
そうなんです。義父は半分九州でした(苦笑)。
中津城
夫の実家は九州中津にありました。
義父のお骨を分骨をするためお寺さんにお願いし、
お経を上げ、石屋さんにお墓を開けてもらい。
持っていった骨壷に分骨しました。
その後、義母や娘たちと、共に静岡の霊園で
納骨式の法要を行いました。
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中津はもともと城下町
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義父のお骨を分骨をするためお寺さんにお願いし、
お経を上げ、石屋さんにお墓を開けてもらい。
持っていった骨壷に分骨しました。
その後、義母や娘たちと、共に静岡の霊園で
納骨式の法要を行いました。
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中津はもともと城下町
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中津城は、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の
主人公・黒田官兵衛が1588年に築城し、
1602年、細川忠興が完成させました。
その後、1632年〜幕末まで小笠原氏が
藩主となり中津城を居城としました。
戦後1964年には旧藩主奥平家が中心となり、
市民らの寄付を合わせて、模擬天守が建造されました。
市民らの寄付を合わせて、模擬天守が建造されました。
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福沢諭吉居
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福沢諭吉居
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福沢諭吉は大阪市にあった中津藩の蔵屋敷で生まれ、
父の死去で中津に帰藩、白石照山に儒学を学び
父の死去で中津に帰藩、白石照山に儒学を学び
その後、長崎に行き蘭学を学びました。
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中津祇園
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中津祇園
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京都の八坂神社『祇園祭』と同じ系統のお祭り。
中津10万石の欠かせないお祭り
として、580年前の昔から行われてきました。
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耶馬溪
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耶馬溪
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大正8年に発表された『恩讐の彼方に』で
菊池寛は、山国川沿いにあった交通の難所に
『青の洞門』を開削した、実在の僧で“禅海”の
史実を取材し小説にしましたが、作中では
『青の洞門』の名前は用いられていません。
小説では主人公の僧が独力で掘り続けた
とありますが、実際は“禅海”が托鉢勧進によって
掘削資金を集め、石工を雇い、ノミと槌でだけで
30年の歳月をかけ、掘り抜いたと伝えられています。
耶馬溪のこの場所は、数回行きました。
秋の紅葉シーズンは格別に美しい処です。
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我が家のいつもの行き違い夫婦の事情〜
懐かしい中津の思い出話でした。
懐かしい中津の思い出話でした。
お付き合いありがとうございました。