50年の逃亡生活・・・
1970年代『東アジア反日
武装戦線』の活動は
『企業こそが帝国主義的侵略の
元凶である』・・・
1970年代の連続企業爆破事件
に関与したとして、重要指名手配に
なっていました・・
神奈川県内の病院で、胃腸末期癌で
1年程治療に通って1月救急搬送。
25日に『自分は・桐島 聡』と
告げて、最後は本名で迎えたい
4日後、29日に亡くなりました。
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❶『東アジア反日武装戦線』の事件
反日・アイヌ革命論を主張し12件
の企業爆破事件を起こし、海外
進出の日本企業を標的にして
いました。1974年・8月
千代田区・丸の内で起こった
『三菱重工業、爆破事件』
死者8人・重軽傷者385人。
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❷『共産主義者同盟』『京浜安保共闘
革命左派』のメンバーに
よって 起こされた事件、、
この事件後、連合赤軍は徐々に
壊滅状態になって行きました。
『あさま山荘事件』
1972年2月・長野県軽井沢町
にある、河合楽器製作所の
保養所の管理をしていた
ご夫婦の奥様を人質に立て籠った
事件でした=犯人全員逮捕
犠牲者
警察官2人 民間の方1人
テレビ中継でしたから数日
かかったと思います。
娘達5歳2歳・怖かった、、
記憶です。
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1970年代から・過激な思想集団に
よって、事件がありましたが・・
『過激派の事件』程度に
しか、思わなかったのですが、、
今回の新聞報道で、50年偽名
で、隠れるように生きて最後
の僅かな時間・本名で死を
迎えたいと言って亡くなった
『桐島 聡』さん、本名について
考えてみました、、
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昨日・友人がラインで素敵な、
詩〜を送ってくれた中の一節
❤️『名前は親がつけてくれた
世界一短いラブレター』
厳しい終末期の『桐島聡』は
本名を名乗って50年の偽名から
解き放され一瞬穏やかな
死を迎えられたと、
思いたいです・50年服役状態
だったのですから・・・
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