2022年2月12日土曜日

スマホ・朝のメッセージ!に涙◆『良かったなぁ〜』と夫・・


 『緑の芝生がコンクリートになってしまう!』
十数年前に、私たちの住むコミュニティで、
『駐車場問題(いわゆる芝生を駐車場に
するという話)』が起きて、
緑や植栽を守る為、5家族が声を上げ、
中心がAさんで、毎日集まり印刷物を
配って総会での話し合いの結果、
緑を守ることができました。

その同志の1人Tさん、、、
昨日、寂しい見送りをしました。


Hさん(Tさんの奥様)から朝、
『夫が静かに息をひきとりました』
というメッセージが入っていたのです・・・
思わず涙でした。

昨年末Aさんを見送って、一月半です。
大切なご近所さんでしたから
とっても辛い事が続きました。

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ご夫婦のお話です。
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Tさんは沖縄出身でした。
ご先祖は貴族の家系で特にお母様
の話を大変誇らしく話して
Tさんの彫りの深い目鼻立ちから、
美しいお母様を想像してしまいます。
Tさんご夫婦は名前で
ハナコ(H)さん、タロー(T)さんと
呼び合うご夫婦でした。
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数年前Hさんから、私の母は〜と
話されたのです。
Hさんのお父様は陸軍将校でした。
昭和20年より前、戦争中に戦死でした。
Hさんのお母様は若いから
他家へ嫁ぐように親戚から
勧められ、当時は
選択できる事は他になかったと
聞きました。
幼いHさんは養女にと望まれて
親戚の意向で、親子別々の生活でした。

そしてHさんはミッションスクール、で
中学、高校、大学と進学したのです。

私から見ると幼い頃より、名門校に入り、
高学歴で何不自由無くの生活に
見えますが、子供の頃はお母様に
とても会いたくて、
 毎晩泣きながら眠ったと話して
いました。

 穏やかな彼女が戦争は絶対に反対よ!
親しくなった私達に話したのは、
今よりもっと元気があった頃の事でした。
Hさんご夫婦にとって
毎年、辛い8月ですと話されました。


Hさんご夫婦だけでなく、辛い8月
は忘れてはいけない、敗戦の月・・・
友人の活動を思い出します。
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話を最初に戻します。
Hさんのご主人のTさん、最後は
訪問介護を受けつつの毎日でした。
自宅で亡くなられたのです。
夫は、
『かえって、良かったなぁ家族に
見送りをされたのだから・・』と。


コロナ禍なので、内うちのお葬式
ということでしたので、私は花束を用意して、
薄紫の紙に包み、Tさんはお酒が
お好きしたからブランデーケーキを
探しましたが、希望の物が無く
ブランデー、ウイスキーボンボン?
にしました。


ユニークなTさん、バレンタインの時期、と
分かってくれるでしょう(苦笑)。
和紙に包んで花束とお供えをしました。

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昨年末(2021年)12月5日にアップした
の記事。
 
年末、Hさんから夫は余命1年半と 
お医者さんから言われて手術が
出来ない癌でと、伺っていました。

 辛いのが長引くのはもっと辛い。
夫の言う通りかもしれません。
家族に見守られ
幸せな最後だったと思います・・・




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