次兄夫婦は、大恋愛で結婚でした。
船関係の仕事で新婚早々北九州市から
横浜へ転勤になって2年半位の
横浜生活だったようです。
仕事は・・横浜港で
船荷の測量会社に勤務でした。
後に測量の会社を
経営し、良い時代もありましたが、
色々あった次兄でした(笑)
そんな弟を長兄は
お前の人生は『小説になるな〜』
『羨ましいよ、全く』等と
半分本音を交て、揶揄(やゆ)でした。
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夜遅く横浜に居るはずの義姉が・玄関に!
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夏・夜の出来事でした。
横浜から義姉が浴衣、下駄履きで
突然、お財布と手提げで帰って
来ました。
母にしがみ付いて、泣き出したのです。
準備無く一昼夜、列車を乗り継いで
九州へ、、若かったからかも
しれません。
その時、私は直ぐに2階に追いやられ
母は異常な状況と思ったのでしょう。
義姉を抱きかかえ、唯、泣くお義姉さん
を、子供を扱うように優しく
して、そんな母でした。
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一人の娘をお嫁に出すけれど二人の
娘(兄達お嫁さんの事を)が
出来るから幸せと言って、義姉達を
自分の娘のように思っていました。
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義姉の実家は
お姉さんが家を継いでいましたから、
多分心配をかけたくなかったのだと
思います、、既にご両親は
亡くなっていたのです。
2、3日過ごし横浜へ戻って
行きました。
次兄は優しい人でしたが、お酒が
入ると、乱暴になる事がありました。
多分、そんな事情だったと思います。
横浜在任の間、2回程帰って
来たのです・・・
苦労をした義姉、後に
横浜時代は、とっても楽しかったと話、
良い思い出も沢山あったのでしょう。
その後、北九州に帰ってきた時は私達と
同居で、長兄は
既に鹿児島へ転勤でした。
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ソーメン? ラーメン!の事
父と母は2階の奥の部屋で就寝
でしたから・・
全く知らなかったのです。
私は2階の勉強部屋、その下が丁度
お台所です、、夜遅く
兄が『**ちゃんラーメン作ったから
どうだ?』と下への階段から声がして
降りると、7ヶ月のお腹の義姉さんと
兄がニコニコと、
ソーメンで作ったラーメンだよ〜
兄が作ったのです。
3人で食べた、ソーメン&ラーメンの味、
受験前、夜の事でした・・・
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