2024年7月2日火曜日

友人の寄稿文・熱く!なった”ハングリー”の言葉〜


過日の同窓会後、
再び、同窓の方から〜会報誌が
送られてきました。
夫が『とっても良いよ〜』と
言ってくれて、、あの時代の
熱血先生、私の経験と重なって
Gくんの寄稿文をご紹介したいと
思いました。
昭和真っ只中〜先生方は戦後の
厳しい社会環境の中でどれ程
私達に希望を託し、教育に
 情熱を注いで厳しく、時に熱く、
そんな時代背景が伝わります。

『一部分』ですが、友人の熱い
想いを少しだけでもお伝え
したいと纏めました。
全部ですと
3回程になりそうです(苦笑) 
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Gくんの寄稿文です。
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『英語と私』
 私はサラリーマン生活38年の中、
22年間を海外で過ごした。その間
6年間のドイツ勤務を除くと他の
4ヵ国は、全て英語圏であった。

『ユー、ジェントルマン、パパ、
ママ、ピカドン、ハングリー、
ハングリー』
門司市は(昭和38年5市合併で、
現在は北九州市)、アメリカで
世界最大の海軍基地を有する
ノーフォーク市と、姉妹都市
あった関係で、
アメリカの駆逐艦や巡洋艦が
門司港に寄港する度に、
市内の小中学校の生徒を
艦内に招いてくれた。

艦内を観た後で、ビスケット、
チューインガム、チョコレート
を配ってくれるのが、大の楽しみだった。
お菓子をもらい
カタコト英語を自慢げに使った。 
その事で担当のN先生から、
『正しい英語を使わなければダメだ』
と叱責された。
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その後中学校、高等学校で
良い先生恵まれ、特に担当の先生から
毎週夜間授業を受けて、
英語が面白くなり自信が芽生え、
高校で二人の先生から薫陶を
受けた事は大きく、その後の
 進学に大きく影響したと、
文面から解釈させて頂きました。

Gくんはお父様の縁で
英語教育に熱心な同志社大学に
入学しました。それからが
Gくんの奮闘だったのです。

<同志社大学>
最初は、ESSに入会して英語力を
鍛え、、ラジオ英会話→映画館
(洋画で言葉?発音?を学び)
そして教会の英会話教室へ
通いました。
猛勉強、、専門の経済学と
並行して頑張った成果は
『実用英語技能検定試験(STEP)
1級優秀賞』でした。

そこから
 ESSの中央執行委員に任命、
この結果、海外支店のある都市銀行
へ就職しました。
何よりGくんの大変な努力が
あって、それが結果へと繋がった
事は、Gくん自身大変だった
と思いますが、、知力、体力
に恵まれそして、、ご両親の
協力も大きかった、、、
読みつつ、改めて彼を尊敬
してしまいました!!
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同期会の時はこんな話は
全くしませんから、とっても
明るく、最後は
いつも〜『高校3年生』♫
ぼくら〜離れ離れになろうとも〜
歌って、終わる同期会でした。

うん10年前に
同期会も終わりになって
しまいました、、、
年々、、、衰えますから全く
 来年の事は分かりません・・





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