2024年6月23日日曜日

心を閉ざし10数年、『30代女性』の決断、、①      


もう、人と関わりたく無い
家族以外と、会話をしたく無い、、
十数年かかって、外の世界へ
踏み出しました。
普通の人ができる事が自分には
出来ない、、『軽度の知的障害』
と分かったのは、つい最近だった
と、寄稿された文章を読みました。
隋分長く、、苦しい想いをして
こられたと、想像します。
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〜私の病、長い戦い〜
私は自分が『うつ病』とは
分かりませんでした。
義母が一人暮らしは寂しいから
と、84歳で同居を決め、娘達は
其々、結婚、仕事で自立し
都内で生活していた時代です。
私も仕事を続けていたのですが
義母が、かなり弱ってきて、
介護へ向け
専念する為に辞職を決めた
時期でした。
ある朝突然、、義母が
洗面所で嘔吐してその後、胆管癌と
分かり、入院して手術した時
92歳、術後の生活
は、私の負担が更に大きくなって
  いきました・・・
全く夜眠れなくなり、布団に入ると
胸が苦しく、近くの掛かりつけ
医院で、導眠剤を処方して
頂いたのですが、眠れず先生の
 前で、涙が溢れてしまいました、、

義母を連れて、術後の診療へ
通院でしたから、先生は帰宅前
ハイツに隣接の
特別養護老人ホーム、、の
ケアマネージャーのOOさんへ
直接、相談して義母の入所の
相談を、、そして私には
OO大学病院の『精神科』に
行って診てもらった方が、、と
言われて、先生の紹介状を頂き、
直ぐに車で夫と翌日いきました。
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最初の検査は夫も同席で、私の
両親、兄弟全ての事です〜病歴は
父は胃癌、長兄は膵臓癌で
他界した事、
娘達が幼児期から、喘息治療で
鼻腔の手術、私が生まれ育った所、
両親が亡くなった経緯〜結婚後、
私は30代で盲腸の手術、、
50歳で乳癌の手術は、この病院で
しました・・まるで〜
テーブルに私の過去〜環境=両親、
兄弟の事、仕事、全てを並べる?
ように淡々と男性の先生は
聞き取り書類に書き記し、、
家族からの暴力は?まで問われ
半日以上の問診と、、その後
薬を処方して頂きました。
予約をして月に1度でしたが
患者さんが多く、、数時間待って
診察ですから、私だけで無く車で
一緒に付きそう夫も、相当〜
我慢だったと思います。
『眠れない』と、、先生に
伝えると、、精神安定剤は
かなり増え、1日に数回飲むように
なりました。何年か通い
通院の為に、大きく決断をする 
『課題』が出来たのです。
この事でも悩みました、、

長くなってごめんなさい。
次も、お付き合いくだい、、、





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