私は子供の頃から・理屈を
言って、強情なところが心配・・
と、言われ私の欠点でした。
何て、強情なの〜思いやられると母が
嘆いていた事を、思い出します、、
<母が〜嘆いた事>
小学校の低学年でした・イジメっ子
は男の子・・・
赤い傘を隠されて・その子を
追いかけ、転んで怪我をした
イジメっ子の処へ、
母に連れられ謝りに行きました。
その時は怪我をさせてしまった事
は、悪いと子供心に思った
のでしょう・母と一緒に謝った
のですが、その後の事です・・・
帰宅後、母に手をついて誤り
なさいと言われたのですが、
母にどうして謝る、、?事が
分かりませんでした。
自分は、母に悪い事をしたとは
思えなくて、謝らなかったのです。
私は、相手が先に傘を隠し
追いかけて、怪我をした〜と
思いましたが・原因がどうであれ
怪我をさせ、母も付き添って
誤りにいった〜そのケジメ?・・
手をついて、母が謝りなさい
その事が理解
出来なかったのです。
叱られて、強情だと言われても
分からず、謝ら無かった・・
(頭がぐるぐるした程、嫌な
気持ちだった気がします)
それで益々母を、悲しませたのです。
母が私の強情さに呆れて、父に
話すのを聞き、原因が何であれ
怪我をさせ、母も一緒に行って
謝った事の責任?ケジメ?
だったのです・・・
その事を理解するには、、、
相当年数が経ってからでした。
(苦笑)
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翻って・・横浜時代です。
父が他界後、母は一人になると、、
良く私達の処へ寂しさから、、
だったと思いますが、暫く過ごし
夫が運転する車でドライブに
行くと、とっても喜んで北九州へ
帰っていきました。
有る時、
親しくしていた、ご近所の
Kさんが・階段の連絡の件で
ピンポーンと訪れました・・・
母が偶々来ていて・紹介をすると
母が、団地の狭い玄関マットに
手をついて・娘達、孫も〜大変
お世話になって、、とご挨拶
だったのです・困ったのはKさん、
どうしましょう、、こちらこそ
と、恐縮させてしまいました。
(ズレた感じがしますが、母流の
ご挨拶でした)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
九州から離れた処で生活をする
娘の家族・ご近所の方々に
感謝と、これからも〜と言う
気持ちだったと憶います。
🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀
手をついて〜は有りませんが
何かと・母は『こんなふうに
していた』と想う事、、、
この年齢になっても『母が〜』
未だにあります・・
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