2024年5月17日金曜日

兄さんは知らない!と義弟◆辛い事、一つづつ終らせた義母


箱根・強羅にある格安ホテルです。
法事他大勢で、数回利用しました。 
お風呂に入りお酒も頂き、
夕食後、私と妹のNちゃんは
お隣の、夫と義弟(Yさん)の部屋へ。
九州の話になって、、
夫はすっかりベッドでうとうと〜
眠りつつ聴いていました。
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九州時代の話になって、Yさんは
『兄さんは知らない、どんなに
母さんが大変だったかを・・』
悔しそうに思い出しつつ、
時折涙でした。
  温泉に入り、お酒を頂きつつ、
気持ちも緩んで心の奥にあった
辛かったこと、苦労真っ只中の義母
が姑(しゅうとめ)の面倒を
看る過程を話し始めました。
Yさん(義弟)だけが、歳の差もあって
長く両親と一緒だったのです。
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<厳しい条件と、理不尽な事情>
① 義父は長男、そして三人の姉妹
(伯母様)が県内でした。」

②義父が九州へ戻るまで、妹達
三人が、交代で義父の母親を
看ていました。

③義父が病気でも長男が、母親の
面倒を看るのが当然という理由

④目病で盲目だった、義母の姑、
半身不随の義父は、話す事も殆ど
出来ませんでした。
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◆義父が倒れた為に〜九州で
生活をする『こんな重大な事件』が
親族間であったのです!
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<静岡から大分へ転居>
昭和40年、病気になった義父を連れ
義母、義妹・義弟・私達夫婦(結婚
10ヶ月)で、九州へ行きました。
私達夫婦は横浜へ戻り、
義父家族は大分県で生活の
計画を立てました。
その為に義母は
親戚(義妹)へお金を送って、
住居の仮住まいの資金を数回送金し、
その上で帰郷でした。
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最初に、三人の親戚ご夫婦と会い、
家の話をしたのですが、それが全く用意
されて無かったのです!
家族全員『茫然自失』・・でした。
お金は??
親族の工場の関係!?に使われ
三人の親族の人達は、無責任に何か
理由をつけて、連れて行かれた家は
 長く、空き家で荒屋・・・
とても住める家では無かったのです。
私はまだ結婚して、1年経って
いないので、何がどうなって〜
お金は消えた!?呆然として
しまいました。家族全員ですから
取り敢えず義父姉妹の家に一先ず
お世話になったのです。

その後、母方の親戚の方が
お世話をしてくれて、数ヶ月後
土地を買い家を建てました。
私が驚いたのは、義母はあんなに
辛い事があったのに、家を建て
孫達が田舎に行った時、
義母は、義父の3姉妹の
伯母様達も招いて
何事も無かったように歓談して
とっても驚いたのです。
(あんなに辛く大変な事を
終わった事と、片付け和かに
話す義母でした)

◆確かに嫌な事を終わらせて
前へ進む・・・義母は苦労が多く
一つひとつ終わらせて、生きて
来たのかもしれません。
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僅かなひと時でしたが箱根の
お湯に癒された
   気がします・・




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