空襲で大被害だった昭和19年・20年
の日本です・・・
私が生まれた家は空襲で消失し、、狭い
二軒長屋に両親と、15、12歳年上の
兄達から『おまえなぁ、橋の下で泣いて
いたから親父が・・』と言われ疑わず
信じていました。
親戚の家族、祖母そして父の会社の方、
家が無いから、、
『困った時はお互い様』と言う時代
でした・狭い家に鳥、猫もいて動物
好きの母と兄が、世話係。
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私が、3歳〜6、7歳位まで・毎晩
父が創作の昔話をし、、お話の中で
眠りに入るのが習慣でした、、想像する
楽しさは、父の影響です。
私は本当のお母さんが亡くなって
お母さんのお姉さんが、私のお母さん
になったの・と聞いて、私は橋の下
で泣いていたのを、お父さんが
可哀想だから、、と拾われたから
本当のお母さんでは無いのよ・・
と話、お互いを慰めあって
親しくなりました、、ところがある時
00さん大変よ!・Sちゃん、橋の下で
拾われたって〜話を、うちの子に・・・
びっくりした母・・・兄達二人は
大目玉・姉が1歳の時ひな壇飾りの
前で撮った写真を見せられ、、2歳の時
大病で、亡くなって8年後に生まれたのが
大目玉・姉が1歳の時ひな壇飾りの
前で撮った写真を見せられ、、2歳の時
大病で、亡くなって8年後に生まれたのが
私だったと母から聞いたのは小学校へ
入学の時だったと思います、何しろ
兄達の冗談は
特別でしたが、自分が可哀想とは、
思わず、姉がいた事がとっても嬉しく、、
戸籍は次女で、後々分かりました。
『橋の下から・・』の話は
珍しい事ではなく、戦災孤児の問題
は昔も今も、幾つかの戦争で
悲劇が起こっています。
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ウクライナ侵攻・中東の内戦と紛争
は続いています、、
戦争が早く終わるのを心から
祈るばかりです・🙏🙏🙏
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