2025年2月10日月曜日

『祖母』〜数奇な運命・ハトコ会から①


私が只一人・祖母の最後を
知る孫で・祖母は大袈裟に
言うと〜
『数奇な運命だった』、、、
幼かった時、母の叔父が一時
同居した時期もあって子供心に
『祖先』こんな人達だった??
江戸時代、祖母が生まれた家は
『御殿医』で医療関係、薬問屋も
営んでいたようです、私が5歳
くらいでした。
遠縁のおじいさんが一時期〜
家族の事情で、一緒に暮らした
数年のことです。
ヒゲが長く薬タンス?沢山の
引き出しありました・・
私が幼いので
偶にその引き出しから・・
コンペイトウと言う甘いお菓子
出してくれたのです。戦後で多分、
甘いお菓子は・多くは無かったと
思います〜〜薬タンス  ↓
母が何回も話すので・子供心に
祖母と言う人が『特別な存在』
なった事は確かでした・・・
祖母は若い頃・評判の美人で
その上茶道、花道、短歌
盆景・・趣味人?と聴かされ
私が子供心に知る祖母は・既に
老女で、少し認知症?でしたから
とっても『美しくて〜??』
なんて、思えなかった(苦笑)
母が長く看病をして
いました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
祖父は大地主で、祖母が
結婚後・・
母の妹で過日『ひとりぼっち』と
電話があったAちゃんの祖母が
いて、二人姉妹です、、
母達姉妹は・お正月には人力車
で、、百人一首を抱え・・
其々、知人、友人に招かれ
お正月の楽しみは・『かるた会』
初釜の茶会・其々の家で
一日・茶会と短歌を詠み・それが
 新年の行事・と聴いていました。
母から聞く話は、『おとぎ話
ように・大袈裟でしょ、、
くらいの感覚〜若い頃です。

本当に母が
趣味人の生活が身について
いた事を知ったのは、それから
 何十年も経ってから
 でした・貧しい戦後の中を、
生きてきたのは祖母から
影響が、あったと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・
(お正月5階の家・サイドボード
の南天が全部萎れて・長女が
もう〜ダメみたい・・・)
でしたが、昨日水切りをして
半日つけておくと生き返り
ました・強い!(苦笑)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜閑話〜
ふる〜い過去の先祖の話は
どなたも『こんな時代!?』
いい事、イヤな事、思い出したく
ない事、ナドナド〜あるかも
しれませんね・・ちょっと
振り返って書いています。
お付き合い下さると
  嬉しく思います・・・




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