2022年8月27日土曜日

義母と母、、真逆〜(2)これ、毎日食べるの??



義父が50代で脳血栓、半身不随に
なって、その1年後静岡から九州へ帰り
新たな家族の生活と苦労は、続きました。
1968年頃の事です。
義母の、縁続きの紹介で土地を購入し
家を建てたのです。
それまでも、それからも想定外でした。
======================
義母は綺麗好きな人でお鍋も流しも、
何から何までピカピカに
する方、いつも動き回って忙しい
義母でした。

料理をこまめに作る事は苦手で、
沢山『ばらずし・天ぷら』を作り”もろぶた”
入れて2、3日間はこれを、頂くのです!

面倒だから大量に作って・・酢飯は
痛まない〜(苦笑)
(もろぶた)↓
天ぷらを作る時の準備は、大変でした。
沢山の揚げ物ですから〜
周りをホイルと新聞紙で、、油が跳ね
汚れが気になるらしく、まるで工事の
養生のようでした(笑)

最初は、義母の言う通りにして
  いました、、 
夫曰く、子供の頃から同じ物が何日も
食卓に並んで、、不服を言うと
叱られたそうです。
嫌だけど、仕方がないからなぁ〜と(笑)

春休みだったと思います。
横浜に弟、妹が遊びに来てハンバーグ、
コーンスープを作ると、大喜びで、
九州に帰った時はリクエストでした。
===================
義母の苦手・几帳面さ 
===================
『私は、料理を作る事、とっても嫌  
なの』とはっきり言われて、
それから
食事作りは私、片付けは義母になり
返って、気持ちが楽になったのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
几帳面過ぎる程・・
義母の食品管理・薬の管理  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
生物(なまもの)の食品、ハムその他
購入した日付を書いて、貼り付けて
いました。
昭和40年代の頃
田舎の小売店では、ハムは量、お魚も
選んで、買う時代でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
話が飛びますが・・数十年後・薬の管理
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
義母との同居で驚いた事
自分で、薬を小分けにしていました。
1日飲む薬を日付毎にし、袋に入れて
管理でした。
100均で買った小分け袋(1ヶ月)

義母が、薬を毎日小分けにしているのを
夫が100均で見つけて、入れていました。

この性格〜整理整頓を整然としないと
気が済まないところ・・

義母→夫→娘達へ
しっかり受け継いでいます、、

 大きく違う義母と母でした・・
次回は大雑把な00家(母)の話をさせて
頂きます(苦笑)





 ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!


2022年8月26日金曜日

『こくそう』の事・・ 国想〜つぶやき・・・



『国想』 
CG ・ 小阪淳
 8月25日の新聞からです。
===================
『美しい日本』をと言った元首相・・
”美しく無い”問題や国会の答弁でした。

激務で大変な重責と想像
しますが、体調を崩して辞任でした。

第一次安倍内閣の時も
体調が悪く入院?して、総理大臣を
 突然の辞任!、驚いたニュースでした。

今回、若者から襲撃されて
この事件がきっかけになりました。

浮き彫りになった、ある団体との関わりは
連日、テレビのトーク番組で
取り上げています。
議員の中には火消しに追われ、無関係の
議員の方は大迷惑かも
しれません。

多額の寄付金を集めたこの壺
  『霊感商法』・・・
人の心理を利用した商法です。
 解明はまだ、されていませんが・・

過去、色々なケースで繰り返されその度に
多くの被害届が出て、親族が辛い立場へと
 追い込まれました。

今回の安倍元首相を襲撃した犯人も
被害者?だったのかも
しれませんが訴える手段は、問題でした。
====================
国葬は、今まで『吉田茂元首相』の
1967年、10月31日に
日本武道館 2億5000万円でした。



過去の総理大臣=国民葬
 又は内閣と政党に寄る=合同葬

国葬の基準は決められている訳では
  無さそうです・・・

 大きな桜を支えてる
壺は=議員?
でしょうか。

費用の問題より全く釈然としない
  『国葬』です・・・





 ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!


2022年8月25日木曜日

別荘から〜2軒の隣人・頂いた物!?・コンプレックスだった事



別荘から、戻った隣人〜頂いた物。

トウモロコシ、モロッコインゲン、
丸なす、ミニトマト〜♩
長野から〜帰ってきました、と
 メモと一緒〜ポストに入っていた、
野菜達です。


夕方、ピンポ〜ンと又、、トウモロコシ


 夫は喜んでいますが・・・
私は子供の頃から、トウモロコシを
おやつ、軽食で食べた記憶が全く
ありません、、

おやつは、母が簡単に作った
お菓子類が多かったのです。

同級生の家族と比較し
両親が、かなり歳で育ったせいか
ちょっと『ズレ』た生活でした。

(恥ずかしくて言えなかったのです、、
母は、トウモロコシを肥料と思って
いたようです=笑)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2021/9/30のブログの中で、子供時代
悩んだ事に触れています。

子育て中
焼いたり、茹でたりで、未だに苦手な
トウモロコシなのです(苦笑)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
敷地内に10本のブルーベリーの木が
植えてあって、実が付いています。

数年前〜河津桜、数本が伐採でした。
その後に、植えられたブルーベリーの木です。

桜の木、伐採反対の声をあげて
一緒に活動した、Hさんからでした。

『沢山下に落ちたりして、もったいないし
摘んできました・・
半分づつにしましたので〜

(敷地内のブルーベリーの木↑)

ヨーグルトか又はアイスクリームと一緒に
召し上がってね』のメモ書きと
大量のブルーベリーが袋でポストに
入っていたのです♩


食後に、そのまま頂きました。
とっても美味しかったです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夕方は涼しくなってきました、、

今日、中央公園の中にあるテーブルで
 若い男性、PCでテレワーク?
のようでした〜





 ブログランキングに参加しています。

↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!


2022年8月24日水曜日

ひ孫へ引き継いだ物・習慣を替え時?◆娘夫婦と昼食〜




母が戦争中も守り続けたと言う
糠床(ぬかどこ)です。
正直『もう糠床、捨てようかしら』と思って
負担になった時期もありました。

発酵の物なので、まめに手入れが必要です。
季節によって発酵の度合いが微妙に
変わってしまい、長く留守をする時は多めの
塩を一面に厚く敷いてラップで抑えて、
保管です。


長女が、糠床を引き継ぐと言って


母からの直伝=ぬか、塩水、出汁昆布、鷹の爪
春〜山椒の実と、葉は洗って刻み
香が良くなるので、この為、庭に
山椒の木を植えていますが・小さくて育ちが悪く
お隣の山椒を頂いて補っています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
娘の手に糠床↓

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

夫が母の糠漬け『絶品!美味しい漬物』と
未だに言って〜母が泣いて
喜びそうです(苦笑)

長女のお産の時、高齢で足が痛むのに
九州から来て、かなり長く滞在でした。
その間に、糠床を自分流に整え
母の作った糠漬けを毎日、美味しい
と言ってくれた事〜
母はとっても嬉しかったようです。

私は、いつか捨てるつもりでしたが、 
 娘がやってみるわと言って・・・
ホーローの入れ物から半分、分けて
大まかな手順と管理方法、メモ書きでした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日は近くのお蕎麦屋さんで長女夫婦と
  昼食でした、、、

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
糠床半分を、ジップロックに入れて
保冷剤と共に抱え
 都内へ向け帰って行きました。

今は、冷蔵庫で保管が出来る糠床用の、
ホーロー容器が、あるようです。
私も冷蔵庫での管理へ
 切り替え時かもしれません、、

   悩みます〜長い習慣でしたから・・  





 ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!


2022年8月23日火曜日

ベネチア『水の都』衰退のニュース・イタリアツアーの経費〜10数年前。


今朝の、世界のニュース。
イタリアのベネチア、旧市街の人口は
減少、、以前もそうでした。


10年以上前に、1度は行って見たいと〜
割安ツアー(2月)のイタリア旅行に
申し込み、初めて夫と海外旅行だったのです。


私達が訪れた時のベネチアは『水の都』と
承知していましたから・・
期待感が多かったのですが、建物に
緑色の苔『美しい』は少しがっかり
 でした・・・
 多くの観光客でいっぱいの人、人です・・

古い歴史のある都市を守るのは、大変な
事と感じたのです。

この時もガイドさんの説明で、若い人は
ここを離れて少なくなり、、高齢化
 になっていると、話していました。


ローマで1日、自由行動・・夫と
コロッセウムへ、
どうしても見ておきたかったのです。

古代の歴史跡、数々の映画で見られる
 『極限の戦いの場所』です。

 ミラノ大聖堂、フィレンツェ、ローマでも 
至る所が遺跡でした。

ツアーですから、経費が抑えられる為か
遠方のホテル、そしてレストランで昼食も
  移動に時間がかかりました、、、

それでも行って良かったです!!
良い思い出になりました〜

   当時の経費、夫のPCに・・・
======================
経費・・・二人分
おまかせプラン   315000円
      空港税    13800円  
   燃料サーチャージ    59800円    
カンツォーネディナーの夕べ
          22000円
成田空港駐車代(8日間) 
      7350円
経費、合計  418,550円
==================
後、お土産、買い物、その他
 200,000円
=================
  石畳の街を歩いて・・・
街中のトイレ、有料でした(苦笑)

当然かもしれません、古代〜多くの 
  世界遺産を守っていますから・・・



 ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!


2022年8月22日月曜日

母、そして義母との暮らしで想う事〜(1)初対面のあいさつ・違う習慣



結婚前に夫から家族を紹介するからと
初めて静岡へ行きました、初対面から
戸惑う事ばかり・・でした。

夫の家族は、当時静岡に住んでいて
社宅は改装中で、仮住まいの
建物でした。
結婚前、両親へ挨拶をと(夫)Kさんと
九州から特急列車で行ったのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私の家では、義姉達も久々に会った時は
手をついて父母へ、『お久しぶりでした、
お変わりありませんでした?』と
お互いが、挨拶をする習慣でした。


それが、普通の事と思っていました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Kさんも仮住まいの住居に戸惑いつつ、
初対面の家族を紹介でした。

ところがKさんの
お母さんは、私をどんな風に迎えようかと
じっとする事無く、動き回って
ご挨拶〜〜
どころではありませんでした(苦笑)

改まった挨拶は省略?・・と言う感じでした。
私への気遣いだったのです。
紹介されて〜何と無く打ち解けて・・
 妹は高校生、弟は中学生、、、


夕食後は皆んなでトランプをして 
私の家とは全く違う雰囲気でした。

弟、妹が明るく、お姉さんに?なる人
と思って、親しく接してくれたのです・・

とっても嬉しかったです。

ただ、朝食が思い出しても可笑しいのですが
 焦げ焦げのハムエッグでした。

『私は料理が嫌いで、片付けや洗い物 
は全て私がしたいようにするから、、』
と、お義母さん。
とっても正直で、そのストレートさに
びっくりでした。
2日目からお味噌汁に、、
お野菜、油揚、豆腐ナドナド
お味噌のけんちん汁、これだけ!でした。

母より楽なお義母さん?
なんとなく、ホットした感じの
初対面だったのです(笑)

 そこから色々でした〜それは又綴ります。
======================
私の母の事
 横浜時代、3DKの分譲住宅でした。
父、他界後、母が良く来ていたのです。

ママ友仲間で親しかったGさんが
ピンポ〜ンと用事で来た時、話し声で、
母が出て来たのです。
狭い3DKです、玄関のマットに
手をついて
『いつも、娘や孫達が、お世話に・』
と挨拶でした・・・
びっくりしたのはGさんです。
 困ったようでした(笑)
   母の習慣=母の礼儀なんですね・・
  
 娘達がお世話になり、仲良くして 
 下さって『宜しくお願いします』の 
 気持ちだったのです・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私の母は明治生まれ、義母は大正時代
 年齢差も習慣も違い、
 可笑しかったり驚いたり、色々でした。
義母との同居は
 想定外!が続いた数十年間でした。

色々、あり過ぎたかもしれません(笑)
少しづつ、、綴って行きます・・




 ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいす!
にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ


2022年8月21日日曜日

その校則必要?13歳、少女の投稿◆スカート丈床から30cm・校則は続く


13歳の少女の投稿です。
(8/20の新聞より)

校則が厳しく、靴の色、靴下、
髪の毛を結ぶ位置まで
決められている、
その理由がわからないと綴っていました。

未だに、こんな厳しい校則の学校が
ある事に驚きました。
===================
私の高校時代の学校は、元女学校が戦後
男女共学の県立高校になったのです。
制服は、黒か紺色どちらかの色で、
一番うるさく言われた事は、
スカートの丈でした。

家庭科の専任の先生で女子教育担当で、
所謂『良妻賢母』型の方針、
戦前からの校風を引き継ぎ、
そんな先生を
『いじわる、おばさん』と 
ニックネームをつけ、嫌厭したものでした。


スカート丈が、床から30cmと決まっていて
偶に物差しを持って周り、運が悪く
少し短めで、たぐって着ている人も
いましたから、絞られたようです(苦笑)

私達の時代は、外出も時間制限があって
制服着用だったのですが、、、
 あまり、守っていなかった気がします。 

同窓会で集まると、30cmのスカート丈
の話は、『ズレた校風と物差し』で可笑しく、
良く話題になりました。
=====================
対照的な長女と次女の学校
=====================
長女は、カトリック系のミッションスクールで、
制服、そして校庭では
スモックを着用し中学生も、高校生も
動き回っていました。
後々娘に聴くと、下校後に都内の友人宅で
制服を着替えて
遊びに行ったりしていたようです(笑)


長女は短大卒業後、大手電気メーカー
に就職しその経験で、現在夫と共に
映像、音響システム設計の会社を手堅く
続けています

=====================
次女の学校は、
中学〜高校そして大学も同じキリスト教系
で、ミッションスクールではありません。


中学入学から制服はなく、生徒の自主性
を尊重して、自分に相応しい服装をと
入学当初に説明がありました。

次女は制服の経験が全く無い、
学校生活でした。

商社→再度留学して
絶えず、自分の目標に拘り続け、今は
夫婦で日本と韓国ソウルを行ったり
来たりの生活です。
(コロナ禍、今は厳しい渡航ですが・・・)  

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  
10代・多感な学校生活の『校則』・・・
ある程度の線引きは必要かも
しれませんが、細かな事までの校則って、
必要かしら?と思ってしまいます。

子供達、厳しい規則は何とか打破して行く  
努力をしますから〜(苦笑)  





 ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!




2022年8月20日土曜日

介護付有料老人ホームへ㉑◆えっ!紙おむつを盗まれた?


娘婿のお母様が介護付き有料老人ホームに
入居して半年が過ぎました。

そして、一度はおさまったと思われたコロナが
また再び猛威をふるった7月から〜
都内のお母様の施設でもクラスターが発生し
入居者、ヘルパーさん合わせて70人以上が
陽性反応になってしまったと聞きました。


もちろん、お母様も2週間以上部屋から出れず、
担当のヘルパーさんも自宅待機となり
他の施設からの応援で乗り切っていたようです。

現在『介護度4』に認定されているお母様。
でも実は、認定の時期に薬の誤飲等があり、
ちょっと過剰?な判断で介護4になったと
娘夫婦も施設の方も言っているそうで
実際は介護2〜3レベルでお元気のようです。
(薬の誤飲は、時に大変な事にも
成りかねないからだと、思います)

先日いつものヘルパーさんなら
よかったのですが、
臨時で来たヘルパーさん、『介護4』の
お母様に『はい、おむつ変えますよ〜』と
接してきて、お母様は、キッとして
『ちょっと何?
私、自分のことは自分でできるわよ!!』
怒って拒絶したそうです(笑)

もう、本当に・気持ちが痛いほどわかります。
それくらい自分のことは自分で管理が
できるお母様です。

そしてまた今度は娘婿への電話。

『ちょっと・・・私のトイレに置いてあった
紙オムツが全部無くなっているの。
朝はあったはずなのに、お昼から戻ったら
無いの、どういうことなのかしら・・』


娘婿は、さすがに『全部無い』という
言葉が信じられず
『ちょっと、よく探してみてよ』とか
『無いって、全く無いの?
いつも余分に置いてる在庫分も無いの?』と
状況を確認しますが、
なにしろ電話のやりとりのようで、、、

仕方なく、施設の事務所へ電話し、
お母様の部屋へ確認に行ってもらったら、
なんと!
『収集癖のある認知症の方がいらっしゃって、
お母様の紙オムツを全部持って
行ってしまったようで・・
当方も注意はしておりますが・・』と
認知症の方への対応が難しいようです。

娘達・・驚いたようでした(苦笑)
ご病気があって、介護が必要な方が
入所ですから、こんな事も起こって
しまうのかもしれません、、






 ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!


2022年8月19日金曜日

九州・憧れの氷菓〜近所のスーパーに◆『記者クラブ』・ドラマと同じ・・


この暑さ、、冷蔵庫には氷菓が多く
 なりました。 

今までも、有ったのかも知れませんが〜今年、
スーパーの冷凍食品で見つけた
『九州名物・白熊』福岡県の会社でした。

憧れの『白熊』に巡りあった!本当に
そんな、気持ちでした(笑)
『九州名物・白熊』です↓

=========================
長兄は新聞社に勤め、北九州から
鹿児島へ転勤になって数年経っていました。
夏休み、私が中学生〜夏の思い出です。
=====================
父母と三人で、夏休み鹿児島旅行兼ねて
兄のところへ行きました、
その頃、兄は独身で新聞社の支局は家の
一部屋が兄の居室でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
鹿児島市内、中心の繁華街
天文館通りでした。

商店街の中『むじゃき本店の白熊』を初めて
いただいた時、なんて美味しい
氷菓!!と兄に何回か連れて行って
もらったのです。↓

かき氷の中にクリームと、果物の缶詰数種類、
あずきに練乳がたっぷりでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 数十年が経って・・・
すっかり忘れていました、横浜時代も
『白熊』の氷菓はありませんでした。

パックの『白熊』は似ていますが
『むじゃき本店の白熊』とはかなり違い
ます、でも満足でせっせと冷凍庫へ
保管です(苦笑)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
もう一つ、意外な場所でした
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
当時兄はバイクに乗って仕事でした。

それで、私を後ろに乗せて県庁の
記者クラブへ用事で立ち寄ったのです。
(現代の記者クラブ)

ドラマで、昭和時代『事件記者』がありました。
テレビと同じ、カーテンで仕切られて
ざわざわとした中の緊張感、そのような
雰囲気だったのです。

  垣間見た記者クラブの様子、、

すっかり遠い〜鹿児島の思い出でした。





 ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!