2021年12月8日水曜日

食べ物への願望、まるで『呪文』ようでした。


昔から私は「血の滴るようなレアな
ステーキ』は最も美味しいお肉料理
と信じていました。


15歳、12歳上の兄達がいて、
私が小学校に行く頃は既に20歳を超え
食べ盛りの兄達、
母は、食事には苦労したはずです。

物が無く、兄達がいつも言っていた
呪文」
血が滴るステーキって美味しんだよ。

この言葉は私の頭に刷り込まれました(笑)
レストランで初めてのビーフステーキ、
『レアでお願いします』と
 思わず出た言葉だったのです(苦笑)

娘たちも、何度も言うのです。
「まだステーキを食べたことがない頃から、
血の滴るようなレアなステーキが美味しいって
思ってた」と(笑)。

刷り込みとは怖いですね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

船の仕事時代、キャプテンをお招きして
我が家でステーキをお出ししたことがありました。
(外国の方は、レストランでは無く自宅に 
招くのが、最も喜ばれる習慣でしたから)

突然夫が外国の船長、他3人の方を
家に招待することになり、
スーパーのお肉屋さんで
サーロインのお肉300g〜400g
を数枚お願いしたのです。
何しろ身体が大きく、1人数百グラムは
食べるよと聴いていましたから〜


そこのお肉屋さん大喜びで、ブランデーの
小瓶を付けて、仕上げに使って
下さいと言われました。
その時から、何かと肉料理には今は安い
料理用ブランデーを使うように
なったのです(笑)


あまりにも狭い3DKの家。
それでも楽しそうに食事をされた船長、
航海士の方々、私の奮闘に
気を使われていました(苦笑)

2DKのアパート時代もキャプテンを
お連れした夫。
若い時って唯一生懸命だったから、
狭い家ですが、何も考えずに
お招きをしたのだと思います。

後から色々事情が分かると、
ちょっと恥ずかしく思ったりしたものです。

船長他要職のご自宅では、メイドさんが
いらっしゃる生活だったそうで・笑

慎ましく、小さな所でのお招き。 
若い時の強みかもしれません(笑)





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2021年12月7日火曜日

短い距離感が、大切な友人◆クリスマスの事

2018年、12月 24日
クリスマス、キャロリング


友人のHさんから今回で終わりの
キャロリング』ですと誘われ、
ダウンコートを着て外へ〜讃美歌の歌声を
聴く事ができました。

『メリークリスマス!』と
それぞれの窓から、ベランダから
声がかかって、
『ありがとう』の気持ちです。

信者ではないのですが
少し寒さも加わって、厳粛な気持ちに
なります。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Hさんとの文庫活動
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
毎年作って下さったクリスマスリース。
Hさんの心の籠ったリースを頂いて
玄関に飾っていました。

今でも毎週教会へ通っていらっしゃいます。
本の仲間でもあり又、緑を守る活動も
した同志です。
お互いに、『暗黙の距離感』があって
深くは立ち入らない、でも最も
信頼している友人の一人です。


文庫活動の時、よく話題になった、
絵本作家ターシャ・テューダーの生活。

そうとう、頑固で強いわよね〜とか、
素晴らしい作家を、主婦目線で話し、
19世紀の生活に想像を巡らせました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ターシャ・テューダーの生活
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
毎年晩秋の晴れた日に1年分の
ローソクを作って、電気では無く
ローソクでの生活でした。
(NHKで何度も、放映されていますので
ご存知の方、多いと思います)

2008年に亡くなって、広大な土地と
庭の管理は御子息とお孫さんが
守っています。

収穫のりんごをジュースに
 ↓
ターシャと孫達

クリスマスツリーには
ジンジャークッキーと、ローソク

12月早々から準備を始め
ご家族総出で、お祝いのようです。
 自分の生活スタイルを守っての暮らしでした。

アメリカの詩人、
ヘンリー・ディヴイット・ソロー
の詩が好きなの、と話すターシャ。

『胸に描いたままの人生を生きよ』
ですが。。。
(目標を目指し、必ず努力は実を結ぶ、
なのでしょうか?)

想い描いた人生を、私は送れたのかしら〜?
ふと、手が止まって(笑)しまいました。





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2021年12月6日月曜日

『ブラッキーな冗談!?』娘婿の話から始まった事でした。




娘達は50代、それぞれ十分では無いかも
しれませんが、何とか夫婦で頑張って
それぞれ生活が出来ています。

夫は
相当健康志向で、高齢でも
ジムへ通い努力を続け、冬の寒い時期も
 早朝から起き、ウォーキング1時間。


私は
夫の母も数年介護、自分のやるべき事は
全て終わった、と思っていました。
コロナ禍で、僅かな楽しみも控え
消極的に、なっていったのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
半年前の事、
娘夫婦といつもの雑談で、
「エジプトに少しの間滞在して、
博物館をゆっくりみたいわ〜」とか、
「死ぬときは、子孝行で、何かの
事故に遭遇とか!?ね」と言うと、

ブラッキーな冗談!?で
「帰りは、シリア、中東の方を回って
帰国されるのがいいですね!」と娘婿(笑)
(中東、絶えず戦争で、巻き添えも
ありますから・・・!!!)


そんな中、
「あ、ブログ、始めたらいいじゃないですか〜」
旅行、趣味など何でもいいんですよ、
と娘婿。

「京都、奈良、、仏像とか好きで
色々いってるから、話題あるでしょ?」
と娘の提案。

でも何書くの?

初めはそう思っておりました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ブログを書くこと。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今思うと、コロナ禍だから、
かなりマイナス思考に陥ってしまった私へ
娘からの提案でした。
私たちの知らない事、いっぱいあるのかも
しれない、何でもいいのよ〜と。
『遺言』のつもりで書いてみて(苦笑)

娘婿は、何でもいいんですよ〜
日記だと思って書いてみてください、と。
それから、半年です。


正直驚いたのは、ネットですから
海外、どこでも読める事は分かっていましたが、
ちょっと大げさですが世界中からアクセスが
ある事に驚きでした。
アメリカ、イギリス、フランス、
ドイツ、オランダ、、、その他。
(Googleの分析データ上です)

親戚へも僅か、この地域の親しい
友人でさえ知りません。
話の中心が私の関わった人に関係していますし、
 事実を書いていますから〜とても言えません(笑)
辛かった経験もいっぱい書きましたから(苦笑)


娘は『世界は広いのよ、
お母さんの話題は、どこにでもある話』
と言われました(笑)

今、少々指の傷の問題があっても、
PCに向かっている時が
一番、元気かもしれません〜〜




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2021年12月5日日曜日

3交代で介護をとの事、、友人のご主人の話でした。

今日、公園でお会いし
少し立ち話をしました。


近所のHさんのご主人、入院でしたが
家に帰りたいとの本人の希望で
自宅療養になりました。


色々と病院、介護の方々とも相談の
結果だったようです。

3交代だから、家に人が入っての介護に
まだ慣れなくて、と話していました。

Hさんが一番悩んでいたのはこの問題

まだ、自分で動けると頭で思って
いますから、身体が思うように動けないにも
かかわらず、間に合わなくて部屋を
汚してしまう。

この経験、私が義母の介護の時、

赤ちゃんを扱うように、寝たままの状態で
介護側が管理できた方が、
まだ増しかもしれないと、思ったのです。

『自宅で最後を』この事は様々な
介護サービス事業も多くなりましたし、
使用するお助け器具もありそうです。


近い将来の為にも、、
更に進化していく事を期待!したいです(苦笑)




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2021年12月4日土曜日

【指の傷①】小さな傷だけど、かなり辛い。



指の傷で、皮膚科から紹介状を
頂いて、大学病院へ通院中


  皮膚を切り取っての、検査、、、
その後も思わしく無く、
次の段階で、大きく削って別の皮膚の
移植手術、又は縫い合わせの処置に
なるとか、の説明でした。

二人の先生が相談しながら?
指を『拡大鏡』でみていました。


超音波での検査

その後、又別室で手術に当たっての
注意事項と、麻酔による後遺症が起こる
場合、あらかじめその内容の
確認が必要でした。
(しびれ、知覚症状?ナドナド)

それと大学病院ですから
手術内容を今後の資料にするとか?、
その事についての承諾があったのです。


その後、手術日を決め今の塗り薬より
更に強めのステロイドの薬に
なりました。
午後3時の予約でしたが、病院を出て
薬局で薬を出して頂き、タクシー乗り場
に行くと、もう時間は6時近く
すっかり、疲れて帰宅でした。


やっぱり、歳なんですね。
治りが遅く、傷の場所がね、と
(先生、ご自分の手で私の指の傷の位置を
じーと診ていました・苦笑)

最初に『小さな指の傷、
甘くみたのが行けなかった・・・』
と思います。

この傷の話は、備忘録として
書いていこうと思います。




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2021年12月3日金曜日

『七面鳥』が突然届きました!・・・どうするの?


七面鳥〜です。


12月に入って、クリスマスが
近くなったある日のこと。
なんと・・・
『冷凍の七面鳥』が夫の会社から
届きました!

近所の3家族が仲良くしていた頃、
大きな七面鳥に驚きと、戸惑い、
どうしよう〜〜でした。

この状態↓で冷凍でした(笑)



一番大きなオーブンが我が家にあり、
それで、兎に角、焼くしか無い!
ということになったのです。

夫達は高度成長期で、残業は多く遅い
帰宅でした。
とにかく、午後から焼き続け
夕方までかかって、皆んなで分け
合いました。


『12月に七面鳥なんて素敵!』と、
喜んだ私達でしたが。。。

そのまま、ただ焼いて

全くこうではなく(笑)

包丁で削って、それぞれ持ち帰って
ただ七面鳥を、食卓のおかずに添えました。
パサパサのお肉に野菜とソースで
頂いたのです(笑)


そんな事が細やかですが、
贅沢な気持ちにさせられた私達。
12月が近づくと、偶に思い出して、
クスッと笑ってしまいます。

七面鳥ってしっかり詰め物をして
ゆっくり楽しんで焼くのが
一番良いのですがそんな料理経験は
全くなかったのです。

その後、七面鳥とは縁は無く、
12月を迎えて幾年月(笑)




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2021年12月2日木曜日

新幹線の発車を止めてしまいました(苦笑)



この、神奈川県の隅っこに
横浜から越して数ヶ月後の時、九州へ


娘と3人で新横浜から、
新幹線に乗車の予定でした。

時間を十分計算して、家を出たつもり
だったのですが、早朝のバスが時間通りに
来なくて・・仕方なく駅まで30分
大きな荷物を持って、子供達を連れて
歩いたのです。


新横浜に着いたときには、出発数分前!
ホームに上がる階段で出発のベルが鳴り、
もうダメだ、間に合わない、と思ったその時
夫が『待ってくれー!!』と
大声で叫びながら、階段を走り上り
車掌さんにアピール!

すると、閉まりかけていたドアを
開けてくれたのです!

もう疲れ果てた私は、入れていただいた
ドアの前で座り込んでしまいました。


今思えばその時は、引越し直後で
道路状況を把握していなかったのですね。
横浜より少し田舎で、当時この集合住宅
周りには、鶏舎、厩があるような所でした。
1時間に2〜3本しかないバスは
しょっちゅう遅れ、10分以上待つことも
珍しくは無かったのです。

住民の運動で、後に循環バスが入ったのは
随分経ってからでした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
年末からお正月の話
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
年末、大晦日は夫の実家で年越しでした。
夜11時過ぎに近くの若籏神社
御神楽を観て、お参りをします。
この古い神社は、豊前岩戸神楽
(ぶぜんいわとかぐら)の本流なのです。

義母は毎年このお参りを
欠かさない人で、お札は大切と言い、
必ず神棚へ奉じました。


大晦日の『御神楽』
一度だけ行きましたが、寒いし
大晦日、お正月の用意は
義母から『お願いね』でしたから(笑)

私は私で、お節からお正月の
各部屋のお花等々、元日の大勢の支度で
精一杯、それも楽しかったのです。
義妹、義弟とも一緒に親しく過ごせて
慣れない、義姉、嫁を頑張って
いたのかもしれません。


この写真ほど豪華ではありませんが、
そこそこ同じ・・・?
もう少し量が多かったようにも
思います(苦笑)




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2021年12月1日水曜日

母からの『3つの約束』守れたかしら・・・?


結婚で九州を離れるときに、母が
 『結婚は覚悟をもって(まるで戦争に!?)
嫁いでいくものです』と。


* 絶対に、どんな事があっても
 離婚で実家に戻って来ては、いけない。
 (夫婦喧嘩の度に、この言葉が頭を過ぎって、
 母が亡くなったら離婚出来ると思った事、
多々ありました(笑)

* お金の事で、兄達に迷惑をかけない事
 お金では無く、随分色々な事で、助けて
もらったと思っています。

* 夫の実家を自分の家と思いなさい。
明治生まれの母でしたから、嫁ぎ先の
 娘になりなさい、このような事だと
思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
離婚を認めなかった訳
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それは、母自信が辛い思いをした事が
原因だったと、後で分かりました。

 祖父が早世(そうせい)したため、
とても美しく、教養人だった若い祖母は、
未亡人は惜しいからと、親戚中で
他家へ嫁ぐ事を勧められ、選択は出来ずに
嫁いだのだそうです。

母は早くに戸主となって、妹と親戚の
叔父様の家で育てられたようです。
母に会いたくて、何度も妹と会いに
行ったと、後々聞かされました。


〜〜〜〜〜〜〜戦前、戦後〜〜〜〜〜〜
母が娘時代、嫁ぎ先の祖母の夫が又
事故で亡くなって、若い母は祖母と一緒に
生活を始めたようです、茶道、盆景、刺繍、
 水引細工の趣味を、楽しんでの生活。

四季折々の茶会で
祖母は歌を、一筆さらりと認め
楽しんだようです。
茶道は総合芸術と言われていますから。
焼き物、懐石料理、掛け軸、お花、
ナドナドですね、、


母の、この多趣味な感性が、
戦後の、物が無かった時代に発揮され、
工夫と努力で僅かな幸せ感が、暮らしの
中にありました。

このことに気付かされたのは、
結婚後の厳しい生活でした。

(玄関に置いている、母のビーズ刺繍)

当時、祖母と母が生活していた家は大きくて、
父はその家の部屋を借りて、
船の会社へ出勤していました。

2回の縁談相手は父で、断り、
3回目も同じ(笑)
母が断った理由は、父の背が低かったから
と、笑って話していました。
母は大柄で、蚤の夫婦だったのです(苦笑)

父との縁談で祖母が『真面目な人』と勧め、
母25歳、父26歳で、結婚しました。
遅い結婚だったと思います。

父が他界後、父が持っていた
古い金時計と鎖で、時計屋さんに
加工をお願いし作ったロケットです。
(真珠の下、父の顔・苦笑)

母との3つの約束が守れたか、難しいですが
終盤を迎え、まだ、がたがたしながら
続く細い道になりそうです(苦笑)




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