2025年5月4日日曜日

余命宣告・『お爺ちゃんガンよ』


ブロガーさんの記事から自分が
『余命宣告を受けたなら・』の
文章〜経験から本人には
伝えず、、近親者に『余命宣告』
多分承知の上で〜最終医療は
『苦しみは少ない緩和ケアを』
と・・寄稿していました。
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 最初は、父の時でした。
『余命2週間位と九州の兄』
から連絡があり、5歳と2歳の
次女を連れて当時、寝台特急
列車で、2段になっていたベットに
3人で、帰省しました。
母は同室にベットを入れて
もらって、父に付き添い母から
洗濯物を預かって家に帰って
一月経って・延命治療では
無かったかもしれませんが
5歳の長女が私達の話を
聴いて父に
『おじいちゃん、ガンだって』
意味も分からず娘が伝え
近くで聴いていた
私達・兄もびっくり!!でしたが
父は穏やかに・・
『ちがうよ〜少し具合が悪い
だけ・・』と答えたのです。
(父は余命宣告を知らされて無く
 本当に、治ると信じていた・と
母から聞きました)

それから
1月位経って一旦横浜へ
戻って、荷物を置いた途端に
義姉から『00ちゃん、お爺ちゃん
もう、ダメなのと涙声』着替え
もせず、、そのままスーツケース
を持って、、横浜から九州へ
経ちました・・・

『余命宣告』長兄の場合は
長男に告げられ、その日甥から
半年の命と連絡がありました。
ショックは大きく
長兄へ・会いにいく時間は
あったのです。
私達家族も、長女と夫・次女と私で
其々、別れて見舞いにいきました。
私は貴金属店に勤務
『命短し』の長兄・病気が治ったら
孫、、お嫁さん達・姪っ子に
宝石の良いのを買うから
用意を頼む〜と言った兄でした
から、病気は治ると信じて
いたのです〜がそれから、
1ヶ月後に亡くなったのです・・
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過日・娘達の友人についてブログに
『余命宣告』を
投稿させて、頂きました。
『看取りに立ち会った娘は
とっても辛かった・・』
そして、、近親者の都合で少し
の期間『延命治療』の選択も
あったようでしたが
延命治療を望まなかった
そうです・・・
いずれ訪れる『死』を意識
してしまう、年齢になりました。

希望は静かに迎えたい・・
ですが🙏(苦笑)




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