ここのハイツへ入居して50年近く
になりますが〜以前は、神奈川県公社
が分譲=3DKの住宅でした。↓
分譲住宅を購入の時・会社から資金の
一部を借り、、お給料から月々返済
しつつでしたが・船関係が大不況時代・
1970年代(オイルショック)会社が
倒産で〜残債の返済は出来ず、、
そのままで終わりました。
『沢山借りておけば良かったのにね〜』
という母は、豊後高田で生まれ、、
良く冗談を言い合う両親でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夫の家族とは大違いの雰囲気で・・
慣れるまで・夫は〜困ったと
想います(苦笑)私の家族〜どんぐり
目でしたが、夫の方は細め
でしたから、、『飛行機から砂糖を
巻いたような〜可愛い目を・・』と
言う母、夫は後でその事を話すと
本気で!不快だったようです、、
(苦笑)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
両親をはじめ・兄達家族も集まると
冗談を言い合い・父母はお酒=下戸
(お酒は❌)でしたが・・
兄の家族が集まって少しお酒が
入ると賑やかになり、そんな雰囲気を
両親は、楽しんでいました・・・
昔話の吉四六(きっちょむ)伝説は
面白く『機知』に富んだ昔話。
吉四六さんは、同じ大分県豊後の国、、
父母は豊後訛り言葉を面白く
使って、私を笑わせてくれました・・
母は、明治生まれ40歳過ぎて私を
出産でしたから、私が小学校、、
中学の時は、周りのお母さん達に比べ
〜お婆さんに見えたので、学校の
授業参観日には洋服より着物の方が、
年齢が分からないと、思い
『着物で来てね!!』と言って
母を困らせました、、
母はお茶席・謡曲は着物でしたが、
洋服の方が楽だったのです。
両親の・『背の高さ』は同じですが、
母が太っていたので母の方が
大きく見えました(苦笑)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
郷里の豊後高田へ行く時・母は
2人前のお弁当を、食べるからなぁ〜と
話す父、そんな様子を楽しそうに
話していました。
娘からのお花が届きました・・
父が亡くなった時、長女6歳・次女
3歳でした。
次回はちょっとつらく・・
頑張った父の話です、お付き合い
くださると、嬉しいです・・・
ブログランキングに参加しています。
↓画像をクリックして応援してくださると嬉しいです!
